ブログ00021 「挨拶」 2020年2月2日

 基本的な生活習慣を身に着けさせることは、里親にとって非常に重要な役割です。生活していく上で、自分にできることは自分でするというのは当然のことです。子供たちには、「お父さんやお母さんは、君たちのお世話をする爺やや婆やではありません。自分のことぐらい自分でしなさい。」と言っています。中学生になったら自分で洗濯させて(全自動洗濯機ですから簡単)部屋で干させますし、小学生でも洗ってもらった洗濯物は自分たちで協力して干します。部屋も自分たちで片づけて掃除機をかけます。しばらく様子を見ますが、汚れてきたら伝家の宝刀を取り出して「部屋を片付けてからゲームしなや。」とひとこと言えば綺麗に片づけます。とは言いましても小学生レベルですけどね。他にもいろいろありますが割愛しますが、私たちが求めることは、当然彼らそれぞれの生育の段階に報じて要求しますので、難しいことを求めている訳ではありません。年相応の、その子の障がいに応じた程度の課題しか与えません。しかし、それさえも中々身についていかないので苦労はしていますが、忍耐強く教えて行くのが里親の務めと理解しています。

 

 基本的な生活習慣の中でも最も私たちが重要視しているのは、挨拶です。挨拶は、相手の存在を認める行為であり、相手を尊重し気遣っていることの証でもあります。挨拶をしなくなるところから人間関係は崩れていくと考えていますので、特にホームでは挨拶を大切にしています。「おはよう。おやすみ。行ってきます。ただいま。いただきます。ごちそうさま。ごめんなさい。」等など。人間関係を良好にするすべての要素が挨拶には込められています。それをおろそかにしていて幸いな人間関係が築けるはずがありません。ですから、ホームでは挨拶をしない行為を決して許しません。その行為は、家族をないがしろにする悪い行為であり、家族関係を壊してしまう切っ掛けにもなってしまうからです。反抗期であろうが幼かろうが何であろうがダメなことはダメです。家庭に危機をもたらす行為を見過ごすことはできません。血のつながりがなくても、いやない家族だからこそ更に挨拶は重要になってくるのです。今朝も、中学生のFさんが挨拶をしないので、「どちらさんですか?」と尋ねました。すると「あ、おはようございます。」と言ったので「おはよう。」と答えました。朝会っても挨拶もしない関係を家族と言えるでしょうか。ですから、私は子供たちに挨拶を求めます。家族ですから。先日もデイサービスから帰ってきた児童が挨拶もしないで家に入ってくるので、「『だだいま!』も言わないで入ってくるのは泥棒ぐらいなもんやで。」というと、子供たちは一斉に「ただいま!」と言います。これが家族だと私は思いますし、そんな小さなことを大切にするところから幸せな家庭は築かれていくのではないかと考えています。違うでしょうか。

ブログ00022 「時間」 2020年2月3日

 我が家は時間にはうるさい。それは、ホームを巣立っていく彼らにとって時間を守れる生活をすることは社会人として必要なことだと思うからです。日本社会におきましては、時間を守れない人間は信用を失います。それは、彼らにとって不利益を被る生き方だと思いますので、口を酸っぱくして注意します。里子たちは、このホームで立派な社会人になる準備をしているのですから当然の教育だと思っています。何年前だったか忘れましたが、東京のある大学で卒業論文の提出が期限より1分遅れたという理由で、論文を受け付けてもらえず、その学生は就職も決まっていたのに1年間留年することになったことが報道されていました。大学の担当教授は、「今回のことは彼の人生にとって有益な経験になると思う。」というようなコメントしていたと記憶しています。そのことが私には大きな衝撃として今も記憶に刻まれており、時間を守れないルーズな生活をしている児童をみるとこの事件を思い出して、指導せずにはいれなくなるのです。ですから、我が家に来る里子には、最初から時間にはうるさい家庭であることを説明しますし、一番最初に里子のために購入する物も目覚まし時計と決まっています。

 

 中学生になってからは、朝起こしにも行きません。自力で起きて決められた時間に朝食を食べて学校に行くように指導しています。寝坊をしても不登校にならないギリギリの時間にならないと起こしには行きませんから、慌てて準備をして朝食を食べないで出かけることになります。急いで行くと事故に遭っても困りますので、走って行っても遅刻する時間に起こし、学校に電話させてから送り出します。「遅刻して怒られたらええわ。」と内心思っています。朝食を食べさせないで学校に行かせることに批判的な人もいると思いますが、私は栄養過多の時代に1食ぐらい食べなくても大丈夫だと思っていますし、第一その子のために朝食はちゃんと準備しているのですから、それを食べないのはその子の問題だと思います。お腹を空かしておいしく学校給食を食べたらいいと考えています。高校生の里子なんかは、何度反省文を書かされたことか。でもそれも自業自得です。誰が悪い訳でもなく、自分が悪いのですから自分で責任を取ったらいいと思います。こういう考えを厳しいと思われる方々はたくさんいると思いますが、私たちはいつまでもずっと彼らの面倒を見て上げれる訳ではありません。いつかは、彼らは実親の元や1人で自立していかなければならないのです。ずっと一緒に居れるならばずっと助けてあげることもできますが、いつ実親の元に帰ることになるか分からないのです。その時に、実親がちゃんと生活支援してくれるかどうかは分かりません。自らの生活を守れる力を身に着けておかないと生活が壊れて行ってしまい、社会と正しくかかわっていくことができなくなってしまします。それは、ホームから1人で自立していく場合も同じですが。私たち里親の役割は、彼らを甘やかして育てることではありません。それは、実親がすることであって(私は個人的には良いとは思っていませんが)、里親の務めではありません。里親の役割は、自立した児童に育てることです。結局は、それが彼らを守ることになると私は思っています。

 

 今朝も2人の中学生は、私たちが起こさなくてもちゃんと自分で起きて朝食を取り、身支度をして時間通りに出かけて行きました。中学生だってやればできます。できないと決めつけるのは大人の身勝手な判断です。私たちが考える以上に、彼らはしっかりしています。

ブログ00023 「ネギ」 2020年2月4日

 今日の晩御飯は、鳥丼でした。当然のことながら鳥丼にはネギが入っています。A君はネギが苦手なので、ちびちび食べて何とか残そうと企んでいました。しかし、我が家では好き嫌いなく食べるというルールがありますので、残していいとは決していいません。もともと1切れしか入れていないので、「それぐらいは我慢して食べなさいよ。」というのが私の考えです。小さい時に好き嫌いなく食べさせていないと、大きくなってからでは本当に食べられなくなってしまいます。乳児院から私たちのホームに来る子供は、必ずと言っていいほど極端に偏食する傾向があります。特に野菜と魚は嫌いなようで、まったく受け付けないという子供もいます。今までには、魚や野菜を掴んで投げられたこともありました。それでも、味覚が成長している段階で少しずつ食べさせていると抵抗なく食べれるようになり、殆どの児童は好き嫌いなく食べられるようになります。幼い時に食べないからという理由で食べさせないと、成長するほどに更に食べられなくなります。

 

 味覚が出来上がっている中学生の偏食は、ほぼ矯正することはできません。ただ、まったく食べないというのは、今後の人生の様々な局面で困ることになる恐れがありますので(取引先での会食、好きな人の実家での食事、お世話になった方との大事な席での会食、食材の高騰や食糧危機、尊敬する方からのいただき物等など)、少しでも食べれるように指導しています。食べなくてもいいなどとは決していいません。中学生のFさんはトマトが嫌いでほんの少しも食べられないと言って受け付けませんでしたが、「アレルギーでない限りほんの少しでも必ず食べるルールになっているし、もし君の大好きで好きでたまらない彼氏がトマト農家の跡取り息子だったらどうするん?手塩に掛けたトマトを少しも食べないって訳にはいかんやろ。」と言って、食べなければいけないような時もあるからという理由で、食べさせると、時間はかかりますが少しずつ食べれるようになっています。人間は、やろうと思えばたいがいのことはできるのです。できないのではなく、やろうとしないだけの話です。

 

 話を戻しますが、A君は時間はかかりましたが、結局ネギを食べてごちそうさまをしました。成長の遅いこの子の味覚が出来上がる前に、ネギを克服することができればいいなと思っています。ちなみに、私は、関西で生まれ育ち、小さい時に納豆を見たことも食べたこともありませんでした。初めて納豆というものを見たのは、21歳の時に東京に行ってお世話になった方の夕食に出された時でした。初めて見る納豆に非常に驚きましたし、とても食べれる物とは思えませんでした。視覚的にも嗅覚的にも味覚的にも無理だと思ったことを.記憶しています。今でも納豆は苦手です。それでも、出されたら文句を言わないで食べることにしています。子供に好き嫌いなく食べるように言っておきながら、自分が食べないなんて言うことはありえないと思っているからです。大人が見本を見せなければ・・・。大人はつらいよ。

ブログ00024 「分解」 2020年2月5日

 D君は分解が好きだ。今朝お母さんが部屋をチェックすると布団の中やベットの下にたくさん物があるのを見つけ、彼にデイサービスから帰ってきたら部屋の片付けをするようにと話していました。お母さんの話によると、玩具、ペン、腕時計等の分解した残骸がたくさん含まれていたとのことで、相変わらず分解癖は直ってないなぁと思いました。好奇心が旺盛なので、分解したくなる気持ちは分からない訳ではないですが、復元することができないことが困ります。分解しても元の状態を覚えていないのでまったく直せませんし、組み立てているうちに部品をなくしたり、本来の場所ではないところに無理やり部品を入れようとしてもっと壊してしまいます。乳児院から我が家に来て間もなくのことですが、分解好きの子供のための玩具(分解できる機関車)を買ってあげ、好きに分解させようと思いました。しかし、簡単な構造でしたが発達障がい児の彼には難しく分解はできますが組み立てられません。そのままにしておくと部品をなくして組み立てられなくなりますので、
私が組み立てるという作業を繰り返していました。しかし、あまりにも頻度が多いので私も疲れまして、しばらく休みたいと思って分解できないようにペンチで固く締めたのですが、どうやってか分解していました。未だにどうやって分解したのかは謎のままです。とにかく、彼が手掛けた分解作業で、復元できたことは1度もありません。ですから、分解厳禁にしているのですが、衝動を抑えきれずにベットに持っていき、夜な夜な密かに分解してたようです。その残骸が、ベットの下にあったということです。

 

 この頃は、小学生の高学年に成長しましたので、更に力強くなりました。そのため、分解された物は無残な姿になっています。以前ならば強力な接着剤で固定されている部分までは分解しなかったのですが、最近は外れるかもしれないと思うようで、力任せに解体しようとしてぶっ壊してしまいます。それで、この頃は「壊し屋」と呼んでいます。それをまた、一番下のA君が真似をして次々と壊していきます。これでは堪ったもんじゃありません。家の家財道具も壊されますので、次は家の柱かも知れないと思い、近いうちにホーム自体が分解されることになるやもと危機感を覚えているほどです。度々、「物は大切にしようよ。壊されたら一生懸命作った人を悲しませるでしょう。」と話しても効果はありません。元々人の気持ちを想像することが苦手な子供たちですから、理解するのが難しい話ではあるのです。結局、分解厳禁と注意するだけでは収まりませんので、実力行使しかありません。1つ目はお父さんが買うけども、それを壊したら次は自分で買うということにいたしました。それでも壊しますが、かなり壊される件数は減りました。弁償することになって、自分の小遣いが少なくなると好きな物を買えなくなるのは嫌みたいで、そのことが抑止力になっているようです。もう少し知恵がついてくるともっと破壊件数は減ってくるのではないかと思います。彼らの成長に乞うご期待です。

ブログ00025 「豪雪」 2020年2月6日

 昨夜からの豪雪により、7時前から除雪を開始しました。ホームの敷地は普通の住宅よりも広いため(児童の安心・安全確保のための避難経路を十分に確保する必要があるため)、早めに作業に取り掛からなければ登校に間に合わなくなってしまうからです。玄関から道路までの通路を確保することが最優先で、雪を脇に寄せながら何とか道路までは出れるようにし、次は除雪車が道路の除雪の際に敷地前に置いて行った大量の氷を含む重い雪の塊を融雪機に投げ込んで行きました。何とか児童が学校に行けるように除雪できたのが8時過ぎで、全員を無事に学校に送り出した後に、車庫前の除雪をしました。午前中に児童相談所に書類を届けに行くこととホームの買い出しに行かなければならないので、急いで排雪作業を進めて終わったのは8時40分過ぎでした。それでも、まだ3分の1はやり残しがありましたが体力の限界と出かける時間が迫っていることもあり、帰宅した午後からすることにいたしました。用事を終えて帰って来てから除雪を40分ほど行いました。それでも、車の上にうずたかく積もった雪までは力及ばず断念いたしました。結局、除雪に費やした時間は合計で、2時間20分でした。疲れました。

 

 昔から除雪作業をしていると、つい不満がこみ上げてきてしまうことがあります。特に今日のように豪雪に見舞われ、しかも除雪作業を急がせられる時には尚更です。作業をしながら「どうせ春になったら全部溶けてなくなってしまうものなのに、除雪に時間はかかるわ、体は疲れるわ、寒いわ、灯油代はかかるわで(灯油を燃やしてで雪を融かす融雪機なので)、少しもいいことないわ。」と頭の中に浮かんできます。個人のレベルでは、除雪作業にかかわる苦労が原因で豪雪は嫌われますが、それだけではなく、企業の経済活動にも悪影響を与えると言われています。道路が渋滞したり公共交通機関に遅れが出たりして社員の出勤が遅れたり、出勤できなかったりしますし、原材料の仕入れや納品が遅れたり、積雪による事故や怪我も増えますし、外食産業も打撃を受けると言われています。雪が降ることによって損失を被る人々がいるのです。事実、渋滞のために普段なら20分で行ける児童相談所に40分かかり、往復で1時間20分もかかりました。40分余計にかかりました。昨日行っとけば良かったと車中で何度思ったことか。

 

 でも、反面、雪が降らなければ困る人々もいます。雪不足で悩んでいたスキー場、除雪作業を生業にしている会社、除雪道具を扱っているホームセンター、雪の下野菜(.大根やキャベツ等)を行っている農家(雪が少ないと地面の温度が上がり、長く野菜を保管することができず、早めの出荷になるために春の野菜の値段が上がってしまうという影響があるそうです。)等など。雪が降って困る人もいれば喜ぶ人もいるというのが実情です。物事には必ず両面があります。片面を見て判断していると真実を見誤ってしまいます。ですから、除雪作業ををしていて不満に感じるようになった時には、「でも、豪雪で喜んでいる人もいるからなぁ。その人たちにとっては良かったよなぁ。」と思えば、少しは怒りも収まります。人はひとりで生きてはいくものではなく、社会の中で人と共存して生きていく生き物です。だとするならば、自己中心的な視点だけで物事を見ないで他者の状況を顧みれる存在でありたいと思います。そうできれば、少しは違った視点で今の現状も見れるのではないかと、除雪をしながら考えました。また、ホームの子供たちにも周りの児童のことを顧みれる視点を持ってくれるなら、もう少し争いも少なくなるんだがなぁとも思いました。

ブログ00026 「前兆」 2020年2月7日

 物事には何事か前兆というものがあると思います。たまに、前兆もなく起こったことだと驚きを表す人がいますが、そうではなくて既に兆しはそこかしこに現れていたけど気づかなかっただけのことでしょう。それは自然災害にしろ、社会問題にしろ、人間関係にしろ例外のない話だと思います。当然、我が家の子供たちも同じです。ですから、子供たちの日常をよく観察し、「ちょっとおかしいな。」と思った時点で、いたずらに時を過ごさずに対処するように心がけています。小さな問題だと放置しているうちに大きな問題に発展する恐れがありますので、できる限り早い段階で手を打っておくべきだと考えます。児童の抱える問題に気づいていても、どのように指導するのがよいのか迷うことも多々あります。でも、その解決策を検討している間にも問題は進行しますので、私は迷いを抱えながらもとにかく向き合って話を始めることにしています。見切り発車的な対応ではありますが、幾ら考えても解決策の正解は分かりませんし、たとえ見つかったと思ったとしてもその子にとって本当にそれが正解とは限りません。大間違いだったことだってたくさんありました。だから、自分の中で勝手に正解を決めないようになったのかもしれません。おかしいと思ったら、時間を置かずに、とにかくその子と向き合って話す。それが、問題を抱えている児童に対する私の手法です。ただ、「この子の幸せを願って」という思いだけはちゃんと確認してからの話ですが・・・。

 

 中学生のE君が、朝から不機嫌で態度が悪かったのと連絡帳の保護者欄に傷をつけたような跡があったということで、担任の先生が別室で理由を尋ねてくれました。それによると、「朝食の片付け当番が女子だったのに男子だと言われてムカついた。」というのが理由のようで、先生が「自分の担当ではなかったことを伝えたか。」と問うと「言えなかった。」と答えたそうです。その不満を物にぶつけたようですが、またしても「やってしまったか。」という印象でした。その時私は除雪作業中で、家内が他の児童から聞いてE君に伝えただけでしたが、本人には腹立たしかったのでしょう。前にも触れた話しですが、彼の弱さは女性から注意されたり、指摘されることに過剰に反応してしまうところで、現在も矯正中のことですが、なかなか克服できないようです。ただ、冷静に「僕は昨日やりましたので、僕ではないと思いますよ。」と答えれば良いだけのことなのに、連絡帳の保護者欄に傷をつける方法で怒りをぶちまけるのは良くない話です。自分の気持ちをちゃんと伝えるということも大事ですし、物にあたって怒りを周りに分かるような形で表すような行為もしてはなりません。たとえ物であっても人を傷つける行為ですし、その行為は人への危害へと発展する前兆であるとも私は思っています。もしそのような事態になったら、誰よりも本人が人生に損失を被ることになりますので、怒りをコントロールする術を今のうちに身に着けておく必要があると感じるからです。しかも、母親との関係悪化の原因もそこにあったのですから、そこをコントロールできるようにならなければ、帰宅の道も開かれて行かなくなってしまいます。

 

 反省会の後、私はE君と向き合い、この話をする予定です。どのような話になったのかという内容は、明日のぶろぐに記すことにいたします。

ブログ00027 「アンガーマネジメント」 2020年2月8日

 昨日のE君との話について記しましょう。反省会の後、E君だけを居間に呼び、連絡帳の保護者欄の傷を示して尋ねました。「これはどういうことかな? どうしてこういうことになってるのかな?説明してくれないか。」と。彼は黙って下を向いて答えないので、「担任の先生から聞いたけど、朝食の片付け当番が自分ではないのに、自分ではないかと言われたことに腹がったのかい。」と聞くと、「そうです。」「何を使って傷つけたんだい。」「鉛筆です。」というので、「腹が立ったからといって、連絡帳の保護者欄に傷をつける行為は見る人の心にも傷をつける行為なんだよ。この複数の傷は君の不満、憎しみ、怒りの表れであり、これを見る人は誰でもその思いを感じて嫌な思いをするんだよ。お母さんだけではなくこの事件とまったく無関係な担任の先生までも、この傷を見て嫌な思いをしたから君を別室に呼んで理由を聞いたんでしょう。これは単なる傷ではなく、君の怒りの表れであり、それを見る人すべての人の心を傷つける有害なものなんよ。見る人みんなに嫌な思いをさせて不幸にする傷なんよ。それを君はここに刻んだんだよ。そこことは分かるかい。」と話をし、彼もうなずいて聞いていました。 そして、「君がこのホームに来る切っ掛けが何だったか覚えているかい。」と尋ねると、彼は「僕が暴言や物にあたって壊したからです。」と答えました。「そのことが分かっていてどうして同じことをするんだい。実親さんが一番恐れているのはそのことだよ。親元に帰りたいなら、何とか怒りをコントロールして暴言を飲み込んだり、物にあたらないようにならないといけないんじゃないの。」「そうです。」「実親さんは君との生活を取り戻すために努力していると聞いている。君ももう少し自分を変える努力が必要なのではないかい。その努力の先に家庭の再構築があるんだよ。」と話しました。

 

 彼の課題は、アンガーマネジメントができることです。今回の事件も、ちゃんとアンガーマネジメントできていれば起こらなかったことでした。家内に片付け当番ではないかと聞かれた時に(家内は他の児童がそう言っていたので尋ねただけでした)、彼が「僕は昨日やりましたので、僕ではないと思いますよ。みんなに確認してもらえますか。」と言えばよかったのです。それを言えなかったばかりに心の中で不満を募らせ、その不満が怒りとなり、その怒りを治めきれずに物にぶつけるという行為に及んでしまったのです。彼になぜ「『僕ではありません。』と言えなかったのか。」と尋ねると「もっと怒られるかもしれないと思ったからです。」というのですが、それは家内という人間を誤解しています。家内はとっても優しい人で決して高圧的な態度をとる人ではありませんし、相手の話をよく聞く人ですから、彼が「僕ではないと思います。」と言っていればちゃんと確認してくれたはずですが、何も言わなかったのでそうかと思ったそうです。彼は、話し相手である家内を見誤っています。相手をちゃんと理解(正しく分析)できていなかったことも怒りを引き起こした原因のひとつといえると思います。でも結局は、家内がどうこうではなくて、女性から言われたことが消化できなかったのだと思います。女性からの言葉を素直に受け取れない彼の弱さの問題が露呈した事件だと思います。これに関しては、なかなか克服できないようで、今後の継続課題と言えます。また、たとえ怒りを覚えたとしても、「ちゃんと説明できなかった自分に問題はなかったか。当番を指示することを忘れた自分に非はなかったのか(彼が片付け当番を指示する役割だったのに忘れていた)。」と自らを省みる作業が必要だったのではないかとも話ました。反射的に相手の言葉に反応すると怒りの感情に支配されます。ですから、怒る前に、まずそのように指摘された原因が自分にはなかったのかを考える作業を大切にしよう。そうすれば、怒りも幾分かは少なくなると説明しました。これは一般的にいう「怒った時は6つ数えよ。」につながる話だと思います。

 

 怒った時に時間を置くことと、次には怒りの行動がもたらす損失も考えなさいと話しました。怒りに任せた行為は、必ず後悔をもたらしますし、自らに損失となって帰ってきます。結局、自分が一番損をするということを自覚しておくことです。怒りには進行性があります。まず怒りの感情を抱くと、怒りを物にぶつけて表します。次に弱い者に八つ当たりします。そして、怒りを覚えた相手に仕返しないしは危害を加えます。そこまでいくと、もう犯罪です。怒りは、速やかに沈めなければ自分が一番損をすることになります。そのことをちゃんと理解して欲しい。今回のこともE君は、1段階目まで怒りを進行させて物にあたってしまいました。その怒りの感情を沈められなかったら、2段階目の弱い他の児童に八つ当たりしていたでしょう。それでも怒りが治まらなかったら、3段階目の私たちに危害を加えることになるでしょう。怒りの感情は、本当に恐ろしいものです。その感情に支配される人は、例外なく人も自分も不幸にしてしまいます。速やかに治める術を学べた人だけが、周りの人も自らも幸福になれるのだと思います。E君が不幸な人生になる前兆を感じたので、時間をかけて彼と話しました。「分かりました。」と言ってはくれたものの、本当に理解してくれたのだろうか。そうであってくれれば良いのだがと思っています。

ブログ00028 「食欲」 2020年2月9日

 今日は、子どもたちがたくさん除雪を手伝ってくれたので、みんなで「みよしの」に餃子を食べに行くことにしました。すると、小6女子のCさんと中2女子のFさんが、「ジャンボ餃子定食」を注文するのでびっくりしました。、「ジャンボ餃子定食」と言えば、今まで高校生男子が注文していたメニューですから、「食べれるのかぁ。」と尋ねても、2人も「食べれます。」と迷いなく言います。私は貧乏人育ちですので、食べ物を残すということに過剰に反応するところがありますので不安に思い、「本当に食べれるのかぁ。残す不安があるなら大盛餃子定食ぐらいにした方がええと思うで。」と念を押しましたが、「大丈夫です。」とハッキリと言い切ります。そこまで言うなら「食べてみろや。」という思いで注文しました。一方男子軍団は小食で、「僕は少ししか食べれません。」「僕は餃子3個でいいです。」「僕はおしるこでいい。」なんて言います。「君たちそんなんじゃ。女子に食い殺されるで。」と言い、食べてくれることを期待して少し多めに頼みましたが、結局のところ私が余分に食べることになってしまいました。

 

 さて、「ジャンボ餃子定食」を頼んだ女子2人の方はどうなったかと言いますと、2人ともぺろりと食べてしまい、その上、男子が残した餃子まで食べました。何という食欲。「これはたくましく生きていくわ。」と思いつつも、「今晩、具合悪くならなければいいけど。」と案じながら帰宅いたしました。当然、みよしのを出る際には、しっかりサービスの飴ももらっていました。帰宅して間もなく、Cさんが喉が痛いというので話を聞くとデイサービスの時から具合は良くなかったと言うものですから、「そんな状態なのにあんなによく食べれたなぁ。」と思いつつ、早めに休ませました。その後、Fさんもやってきて、「少し風邪っぽいんですけど。」と言うものですから、口には出しませんでしたが、「お前もか。」とため息をつき、早めに休むように勧めました。明日が心配です。さて、どうなることやら。それにしても、体調が悪い中、「よく食べれたなぁ。」という思いだけが頭の中でこだましています。

ブログ00029 「やっぱり」 2020年2月10日

 やっぱり病気でした。Cさんを朝病院に連れて行き、溶連菌と判明しました。Fさんはあまり体調は良くないようでしたが、熱がなかったのでとにかく登校させました。我が家では、熱がなければとにかく登校し、具合が悪くなれば保健室で休み、学校から連絡があれば迎えに行くというルールがあります。それは、今までたくさんの不登校児童をお預かりして来ましたので、具合が悪いという理由で休ませていれば毎日休んで学校に行こうとしません。その対策として、客観的な基準を明確にして登校か休みかを判断するようにしています。このことは、安易に学校を休もうとしないように、子どもたち全員に周知しています。これさえも有効な手段とは言えませんが、行きたくないだけで学校を休もうとする児童の一定数は減らすことができます。と言いますのも、今までに不登校だった児童が、「頑張れば37.5度までなら出せる。」と言っており、どうしても行きたくない時には熱を出していましたので、あながち嘘ではないと思っています。37.5度まで頑張って出すほど行きたくないなら仕方ないので、その努力に免じて学校は休ませました。結局、その子も少し時間はかかりましたが、登校できるようになりましたので良かったと思っています。

 

 ところで、Fさんですが、12時前に学校から熱が出ているとの連絡があり、迎えに行ってそのまま小児科に連れて行きました。彼女は、インフルエンザB型だということで治療薬を服用し、部屋で休んでいます。食欲がないものと思いきや、食べるわ食べるわで、とても病人とは思えませんが、これだけ食べれるなら早く直るに違いないと思っています。ひとつ屋根の下で生活していますので、ほかの児童に感染していくのではないか、いや既に感染しているのではないかと不安がよぎります。我が家の中でパンデミックが起こるのではと案じながら夜を過ごしています。でも、起こってしまったら起こってしまったで何とかなりますので、今はとにかく体力温存で有事に備えたいと思っています。

ブログ00030 「1人の存在」 2020年2月11日

 Cさんは溶連菌、FさんはインフルエンザB型、E君は風邪の菌が小腸に行ったための腹痛、D君は顔が真っ赤で微熱ありという状態で、ホームは病人で溢れています。元気なのはA君とB君だけで、彼らも果たしてこのままでいれるものかと案じています。朝の食卓も私と家内とA君、B君の4人だけで、随分と寂しい食卓となりました。日頃はどこに行っても誰かがいるし、あちらこちらで騒いでいるわ、争いは勃発するわで、その人口密度の高さのゆえに時にはウザイなと感じることもありましたが、ここまで人数が減ると寂しいものです。改めて人の存在の大きさを実感しました。

 

 これといってすごく役立つ面々ではありませんが、やはり存在していること自体に意味があり、周りに何かしらの影響を及ぼしているのだと思います。私たちは、何かにつけ人の価値をその能力や富や地位などの、その人が持っているもので計りがちですが、それはその人に加わった単なる付加価値でありって、人としての本価値ではありません。何かができるできない、持っている持っていないを超えて、人は存在そのものに大きな価値があることを感じます。私の母がアルツハイマー型認知症になってすべてを忘れて何もできない人になりましたが、私にとりましては大事な人でしたし、長生きしてほしいと願っていました。母が亡くなった時には、強い喪失感に見舞われ、その存在自体の持つ価値に改めて気づかされたことを思い出します。我が家の子どもたちも同様で、存在そのものに価値を認め、存在を尊重し、真剣に養育にあたらねばと思いを新たにいたしました。

 

 さて、明日から学校が始まります。果たして何人の児童が元気になって登校できるでしょうか。大きな期待を込めて、今夜も床に就きたいと思います。