ブログ00031 「体力」 2020年2月12日

 今日学校に行けたのは、A君、B君、D君、E君の4名でした。女子は、まだまだ回復には時間がかかりそうです。彼らと生活していると、度々「本当に体力がない子たちやなぁ。」感じることがあります。今回のように、1人が病気になると次々に倒れていきますし、治ったかと思うとすぐにまた病気にかかるという連続です。一般的に障がい児は体力的にも劣っていると言われますが、つくづくそう感じます。特別支援級では、毎朝、「体力つくり」というメニューが組まれていますが、体力のない彼らを少しでも鍛えようという目論見があるのでしょう。子どもたちは一応に嫌がっていますが、これから社会の一員として生きていくためには、今のへなちょこな体力ではとても勤まりません。健常者だって、この世で生きていくのに体力が求められることを知っています。「体が資本だ。」ということはいやというほど経験しています。私も若い時は、明日のことを考えないで今日を生きることができましたが、持久力のなくなった今となっては、明日を考えて今日を生きるようになってしまいました。今日を頑張りすぎると明日が不安になってしまいますので、すぐに休もうと考えてしまいます。そんな時、「年を取ったなぁ。」とつくづく感じます。

 

 彼らが将来生きていく社会は、本当に厳しい世界です。知識を賃金に変えることが難しい彼らにとって、体力を賃金に変えること以外に方法がありません。人の嫌がる同じ作業を忍耐強く、持久力を持って、真面目に取り組める集中力があってこそ、社会の一員として生きていく道も開かれます。そこには甘えは許されません。障がい者が社会で生きるということはそういうことです。そう思うと、少しでも体の丈夫な子どもになって欲しいものだと願うばかりです。

ブログ00032 「過保護」 2020年2月13日

 一昨日まで体調を崩していた(風邪の菌が腸に入って腹痛と下痢の症状がありました。)E君が、昨日から学校に行けるようになって本当に良かったと思った矢先、今日の昼頃に学校から電話があり、「熱があるので迎えに来てください。」というものですから、「何度ですか。」と尋ねると「37.2度です。」と言います。「それならば中学生にもなりますから歩いて帰らせてください。」と話ても、担任の先生が「私が送ります。」と言うものですから、授業中なのに担任の先生に送らせることはできませんので、「私が迎えに行きます。」と答えて学校へ迎えに行きました。その時私は、小学校の卒業式を控えている子どもたちの晴れ着を少し離れたお店で探している最中だったのですが、それを途中で切り上げて迎えに行かなければなりませんでした。学校の玄関まで行くと、担任の先生が待っていて、「ちょっと待ってください。すぐに連れてきますから。」と言って奥に走って行きました。するとすぐにE君と2人の先生が玄関まで彼を送ってきて、私に彼のカバンを渡すものですから、「何で先生が重くもない彼のリュックを持ってあげて、しかも当たり前のように私に渡すのか。」と頭にカチンと来まして、先生たちに「小学生じゃないんですから、37.2度くらいの熱なら自力で帰らせてください。」と言い、E君には「それくらいの熱なら自分で帰って来れるでしょう。」と少し強く言ってしまいました。

 

 日頃から感じていたことですが、特別支援級の先生方は生徒に甘すぎます。いつも腫れ物に触るように慎重に丁寧に穏やかにかかわります。悪いことをしても決して厳しくしかりません。その指導方法に昔から疑問に感じていました。健常者であろうが障がい者であろうが、悪い事は悪いのであって何ら違いはありません。障がい者であっても、悪いことをしたら叱られるのは当たり前のことです。それをやらないので、子どもたちは調子に乗ってわがまま放題、傍若無人に学校で振舞います。何度も悪いことをしたら厳しく叱ってくださいと頼んでも、ちっとも叱ってくれないのです。私から言わせれば、「障がい者を馬鹿にすんじゃない。それは差別だ。」と思います。「彼らを普通の人間として扱って欲しい。障がい者だからという理由で寛容になり過ぎないで欲しい。どうせ言っても分からないと諦めないで欲しい。」と先生を見ていてそう思います。そんな温室育ちの障害児童に、厳しい社会を生き抜く底力が育つはずがありません。先生方は、本当に彼らの将来を考えてくれているのだろうかと疑問に感じているのは私だけでしょうか。

 

 さて、学校から連れて帰ってきましたE君を小児科に連れて行って診察してもらいますと、またしても溶連菌でした。もう何度この言葉を聞いたことか。今年に入ってから一番たくさん聞いた言葉ではないかと思う程です。明日からまた彼はお休みです。他の児童に感染しなければ良いのですが・・・。

ブログ00033 「体力勝負」 2020年2月14日

 Cさんの溶連菌に始まり、FさんのインフルエンザB型、E君の胃腸炎に溶連菌と病人が続出していますが、本日新たにA君が発熱し、溶連菌と判明して学校を休みました。次々と発症するこの「溶連菌って何なん?」と思いつつ、看病を続けています。溶連菌は、怖い続発症(合併症:リウマチ熱、急性糸球体腎炎など)を引き起こす病気ですし、感染力の強い菌だとも言われていますので、日頃よりうがい・手洗いをするようにとは口を酸っぱくして言っていますが、適当にするものだからこういう結果になってしまうんだろうなぁと思います。6人も児童がいますので、ひとりひとりの手洗い・うがいをチェックする訳も行かず、本人任せになってしまうのはやむを得ない話ですが、結局、苦労するのは私たち親なのですからたまったもんじゃない。「それが子供だから仕方がない。」と言われればそれまでのことですが、やっぱり大変なものは大変です。

 

 これ以上は勘弁してほしいとの願いもむなしく、夕方デイサービスから連絡があり、「D君が微熱で体調が悪いようなのでお迎えしてもらえますか。」とお願いされました。しかし、家内はCさんを外反母趾の装具を取り付けに整形外科に連れて行っていましたし、私は他の子どもの看病にあたっていましたのでお迎えは難しいと伝えますと、デイサービス側が送迎してくれると言うのでお願いしました。「これはまた溶連菌やな。」と思いつつも、小児科も診察が終わる時間ですので、明日診察を受けることにして部屋で安静に休ませることにしました。Cさんがやっと今日から外出できるようになったかと思ったのに、「今度はD君か。溶連菌の勢いが収まらんなぁ。」と思いつつも、「これは体力勝負やな。」と思っています。結局、子どもと一緒に生きるということは、体力がなければできない話です。次々に起こる病気や問題に対処するためには強靭な肉体が必要です。私たちの周りで次々に病人が増えている中で、私たち夫婦は病気から守られています。これだけ病人が増えると私たち夫婦が病気になっている場合ではありませんから、気持ちが張っているからかもしれません。病は気からとも言いますから。「お父さん、お母さんたち、お体をお大事に!」 元気でないと子どもは守れませんよ。

ブログ00034 「病気の対価」 2020年2月15日

 今朝、D君を小児科に連れて行き、診察してもらいました。思った通り溶連菌でした。これで、我が家で病気でないのは、B君と溶連菌から回復したCさんだけとなりました。なぜだか、当たって欲しくない予想に限って当たっているように感じるのは、楽しかった記憶よりも辛かった記憶の方が深く刻まれているからなのかもしれません。願っていたように物事が進んだことだってたくさんあるのに、なぜか辛かったことばかりが記憶に残るのは、人間のサガなのでしょうか。またしばらく看病の日々が続きます。

 

 このように病人が次々と起こってくると、「何で病気なんてあるんだろう。」と考えてしまします。「理由なんてない、あるものはあるから仕方ない。」と諦めて現実と向き合える人は強い人ですが、私はそうはいきません。何らかの意味を見いだせないと現実と向き合えないし、受け入れることもできない面倒な存在です。何かそこで得るものがなければただの苦労であり、無意味な苦労になってしまいます。それは、自分にとっては非常に苦痛なことであり、何かしら苦労の対価、報酬を得たいと思ってしまいます。自分で言うのも何なんですが、本当に厄介な存在です。ケチな存在なので、転んでもただでは起きない性格がそうさせているのかもしれません。

 

 結局、私が思いついた病気の対価は、「健康のありがたさを知ること。平穏な日々の尊さを思い出させられること。自らの弱さを知りおごり高ぶらないこと。病人の気持ちを理解できること。病気で苦しんでいる人の存在を思い出すこと。その人を思いやり自分にできることを考えれること。」でした。他にもあるのかもしれませんが、私が思いついたのはこれくらいでした。知恵がありませんので。でも、病気もすべてが悪い訳ではないと思えれば、少しは向き合える力になります。私はそう思って、今夜も子どもたちの看病に励みます。

ブログ00035 「平凡な日常」 2020年2月16日

 Cさんの溶連菌に始まり、E君の胃腸炎と溶連菌、FさんのインフルエンザB型、A君の溶連菌、D君の溶連菌と立て続けに病人が出た先週でしたが、感染しなかったB君、回復したCさん、E君、Fさんと徐々に日常を取り戻しつつあります。A君とD君も明日小児科で診察をしてもらって良ければ、学校に復帰する予定です。2人も非常に元気なので、おそらく大丈夫だろうと思っています。一日一日を夢中でこなしているうちに、平凡な日々を少しずつ取り戻してきています。一時はどうなることやらと案じていましたので、正直安堵しています。良かった。私たち夫婦の体力も何とか持ちました。感謝。

 

 平凡な日々は退屈だという人がいますが、そんな人は平凡な日々に満足できず、常に新しい刺激を求める欲求不満の人々です。ごく普通の庶民である私が求める幸せは、平凡な日常の中にあるのであって、特異な体験や興奮する刺激の中にあるのではありません。目新しいことはないけど、子どもたちがみんな元気で楽しそうに生活している平凡な日常の中に幸せを感じます。そして、その平凡な日々は、決して当たり前のように訪れる訳ではありません。今回のように、次々と病気で家族が倒れたりするようなことも起こります。だからこそ、平凡な日々に感謝して生きなければならないと思います。何も驚くような新鮮な幸運が訪れなくても、「ありがたいなぁ」と感謝しながら生きる人生がどんなに幸せなことか。幸せは決して遠い世界にあるのではなく、身近な平凡な日常にあるのではないかと、今回のことでも思わされました。平凡な日常に感謝できなくなったら、私も幸せから縁遠い不幸な人間になってしまうので、気を付けなればと改めて思いました。

ブログ00036 「緊張」 2020年2月17日

 今日は、CさんとD君の中学校一日体験日でした。今年小学校を卒業し、中学校に進学する彼らに中学校がどういう場所なのかを体験させて、スムーズに進学へとつなげるための恒例行事です。特別支援級で学んでいる彼らは、環境が変化することが苦手で、少しでも事前に情報を与えておこうとの配慮から実施されているものです。特に、D君にとっては緊張の連続だったようで、一日体験が終わって迎えに行って小学校に連れて行くと、教室に入った途端に緊張がほぐれて泣いてしまったそうです。極度の緊張に堪えかねていたようで、感情が溢れ出てしまいました。「彼なりに頑張ってきたんだなぁ。」と思いつつも、今後のことを考えると「本当に大丈夫か。」とも心配にもなりました。小学校から帰ってきたら、また話を聞いてみようと思いました。

 

 デイサービスから帰ってきたD君は、食欲がないというので、おかしいと思って熱を測ると37度と微熱があり、部屋で休ませることにいたしました。しばらくして話を聞きに行き、「今日の中学一日体験はどうだった?」と聞くと、「すごく緊張しました。怖くて誰にも話しかけられなかった。」と答えました。おそらく、授業の内容も小学校とは違いますし、体の大きな中学生の威圧感に圧倒されたようです。すでに中学校に上がっているE君が優しく声をかけて一緒にいてくれたようですが、それでも本人には辛かったようです。誰だって、初めての人に会ったり、初めてのところに行くのは緊張するものだよ。君だけに限ったことではないから、あまり心配し過ぎないようにね。困ったことがあったら先生もE君もCさんも助けてくれるし、お父さんやお母さんもできる限り助けるから不安なことや心配なことがあったら、遠慮なく言うんだよ。大丈夫、君には味方がたくさんいることを忘れないようにな。」と話しました。

 

 しずかに聞いていたE君が、またしくしくと泣き始めたので、「またかい。」と思いつつも、慰められると涙腺が緩むことがありますので、そうなのかと考えていました。そこで、「どうしたんだい。お父さんは怒っているんじゃないんだよ。励ましているんだよ。何がそんなに悲しいんだい。」と尋ねると、しばらくして「また熱が出て部屋で休すことになって、ゲームができないことが悲しくて泣いています。」と答えました。「そっちかい!」 

ブログ00037 「食欲」 2020年2月18日

 昨日、中学校の一日体験入学を終えて体調を崩していたD君のことですが、朝の7時に様子を見に行くと朝食を食べないというので、病院に行くかどうかを判断するために体温を測りました。高めの温度が出る体温計で36.7度ですから、熱はありません。「これなら学校に行けるね。」と言うと、本人は勝手に病院に行くつもりになっていたようなので、少し不服そうでした。以前にお話ししましように、我が家では熱がなければ原則登校するというルールがありますので、確認のために体のどこか痛いところはないかを聞きました。「頭が痛いのか。」「いいえ。」「お腹が痛いのか。」「いいえ。」「下痢でもしているのか。」「いいえ。」「じゃぁ、どこか悪いところはあるのかい。」と聞くと、「食欲がありません。」と答えました。人間なんだから、食欲がない時ぐらいあります。そんな理由で病気で苦しんでいる人が来ている小児科には連れていけません。本人にも「食欲がないという理由は病院に行く理由にはならんで。お腹が空いたら自然と食べたくなるから、気にしないで学校に行きなさい。」と言って準備をさせて学校に行かせました。

 学校の先生には、8時に連絡をして事情を説明いたしました。「どうやら昨日の中学校一日体験入学で、極度の緊張に疲れ果てて食欲を失っています。でも、これからの人生、こんなことぐらいでくじけてたら生きていけませんから、励まして学校に送り出しました。少し気にかけて様子を見ていただけますか。」とお願いし、いつでも学校に迎えに行けれる心構えで今日を過ごしました。結局、デイサービスまで問題なく過ごしてホームに帰ってきました。相変わらず学校給食は全部食べられなかったようですが、ホームでの夕食はしっかりと食べ、おやつも食べていましたし、他の児童とうるさいくらい元気に騒いでいるので、緊張から徐々に解放されてきているんだなぁと感じました。それにしても、こんな調子でこの子は、社会に出て行けるのだろうかと改めて不安を感じる出来事でした。これからの彼の成長に期待したいと思います。

ブログ00038 「緊急」 2020年2月19日

 里親をしている者として、見過ごすことのできないニュースを聞きました。神戸市や警察によりますと、2月10日の午前3時ごろ、小学6年生の女子児童が神戸市中央区の児童相談所神戸市こども家庭センターの夜間受け付けを訪れ、「家を追い出された」などとして助けを求めました。これに対して、児童相談所から委託を受けて当直業務を行っていたNPO法人の男性職員は、インターフォン越しに警察に相談するよう伝えただけで保護せず、そのまま帰らせたということです。このあと女子児童は近くの交番に駆け込んで保護され、児童相談所に改めて保護されました。児童相談所のマニュアルでは、夜間の来訪は市の職員に報告したうえで対応することになっていますが、NPOの職員は「見た目や言動から緊急性がないと判断した」として、報告をしなかったということです。神戸市は、「不適切な対応だった。マニュアルの順守を徹底するようNPO法人を指導した」とコメントしています。

 

 児童相談所に勤務しているにもかかわらず、何という認識の甘さかかと呆れてしまいました。午前3時に小学生が助けを求めてきたというだけで保護するに十分な理由であるにもかかわらず、なぜ、「見た目や言動から緊急性がないと判断」してしまったのか。あまりにもずさんで心無い対応に怒りすら覚えました。被虐待児童の保護は、速やかに対応することが生命線であり、いたずらに手をこまねいていてはなりません。犯罪に巻き込まれたり、命を失う危険性さえあった対応だったことを深く反省すべき事件であったと思います。神戸市は、「不適切な対応だった。マニュアルの順守を徹底するようNPO法人を指導した」と言っていますが、そもそもなぜNPO法人に業務委託などしているのか疑問でなりません。市の職員に相談しなければ対応もできない立場の人を、被虐待児童救出の最前線である窓口業務につかせていること自体が、危機管理意識が低すぎると思います。相談しなくてもその場で対応できる職員を置くべきだと思います。結局、市の職員は夜間受付業務をしたくないだけで、誰も子どものことなんか考えておらず、単なる一業務だと思っているのではないかと思います。そんな意識で命の危険にさらされている被虐待児童を救えるはずがないと思います。考えが甘すぎます。

 

 今までも、児童相談所は虐待の事実を知っていながら保護できずに何人もの児童を死に至らせてきました。すべて初動対応の遅れや躊躇が原因です。子どもの立場に立つならば、たとえ勇み足になろうがとにかく保護して、それから対応を考えればいいのに、親権を尊重しすぎてそれができない。私は、「疑わしくは躊躇せずに保護すべし。」と考えています。第一、虐待が疑われている時点で実親には親権を主張する資格はないと思っています。そんな親から裁判沙汰にされるのを恐れて、慎重の上に慎重を重ね、証拠集めに奔走しているうちに児童は殺されて行くのです。児童相談所は、「子どもの味方をするところではないのか。子どもをどこまでも守るところではないのか。泥をかぶってでも子どもを保護する職員はいないのか。」といつも思います。里親を長くやっていますと、児童相談所の職員は、口癖のように「子どもの最善のため」と言いますが、私は、「本当にそう思うなら、なぜ被虐待児道を一人でも自分の家で預かろうと思わないのか。」と聞きたくなります。児童相談所の職員は誰も里親をやろうともしません。それでいて、「よくそんなことが言えるもんだ。」と冷ややかに受け止めています。

 

 今回の問題も、子どもの味方であるべき児童相談所が、何の判断もできず、何の対応もできない人に窓口業務を任せ、被虐待児童の命を守るという大切な業務を自ら負わなかった事が原因だと思っています。「本当に子どものことを考えている職員はいないのか。いるなら、あなたがそれをやるべきではないのか。」と被虐待児童を預かっている私は問いたい。

 

ブログ00039 「キッズ携帯」 2020年2月20日

 今まで使っていましたキッズ携帯の更新日が近づいてきたので、料金設定を変更して少しでも安くできないかと思い、ドコモショップに相談に行きました。すると、以前にいた児童が実親さんと長電話をして通話料がひと月7万円を超えたことがあり、「かけ放題プラン」に変更していたのを忘れていました。こまめにチェックすればよかったのですが、まとめて料金請求がされていたので詳細を理解していませんでした。今回、契約更新の確認はがきに記されていた料金が高かったことでやっと気づきました。小まめな確認を怠ってはいけませんね。、そこで、割高な「かけ放題プラン」から安価な普通のプランに変えたいと思ったのですが、ドコモショップの店員はできませんと言うのです。理由は、料金プラン自体が廃止されており、変更できないというのです。このまま契約を更新するか、契約を解除して新しいキッズ携帯に変更する以外に料金を変える方法がないとのことでした。自分たちが始めた料金プランを一方的に廃止して、高額な料金プランを続けさせようとする姿勢に企業の身勝手さを感じてました。しかも、里子はキッズ携帯の契約自体ができないというのです。これには本当に怒りさえ感じました。

 

 里親と里子の生活においては、キッズ携帯の存在は欠かせません。慣れない土地に引っ越してきて、新しい学校に通うようになる彼らにとって、外出は恐怖です。常に、里親と連絡を取れる状態にしておくことが安心につながりますし、道に迷った場合や不審者と遭遇した場合にも、イマドコサーチで居場所を確認して助けに行けます。本来、守られなければならないのは里子たちの方なのに、その子たちがキッズ携帯を持てないなんておかしいと思いました。実親が契約してくれる子どもには、簡単な手続きで、しかも安価な料金でキッズ携帯を提供するのに(月々たった500円だそうです。)、実親が養育を放棄した里子たちには、高い使用料を課すどころか、キッズ携帯を持たせることすらしないドコモの企業体質に怒りを感じました。ドコモは、何ら弱者への配慮をかいた、社会貢献をしない企業だと正直感じました。でも、それはドコモに限ったことではなく、他の携帯会社も似たり寄ったりでしょう。結局、そのまま更新して使用することにいたしました。

 

 私たち里親は、里子に関する手続きをする度びに苦労いたします。住民票を移すのも、転校するのも、銀行口座を開設するのも、児童手当をもらうのも、病院に受診するのも、携帯を持たせるのも何でも面倒な手続きを要求されますし、今回のドコモショップのように契約自体を断られる場合もしばしばです。被虐待児童は一体誰の子どもなのか。実親が養育できないのなら、国や社会が養育すべき子どもたちではないか。児童憲章の2条には「すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。」と明言されているではないですか。なのに、国も社会も被虐待児童に対していつまでも冷たくて厳しい。こんな状態で、被虐待児童の幸せの実現何てほど遠いと感じます。私たち里親は、こんな国や社会に物申し、被虐待児童の待遇改善に努力しなければならないと思いますし、皆さんのお力もお借りしたいと心より願っています。国や社会に育てられたこの子たちは、きっと世界の平和と幸福の実現のために役立つ存在になるものと私は信じています。

ブログ00040 「小学生感染」 2020年2月21日

  北海道は21日、中富良野町の小学校に通う男子児童2人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表しました。2人は兄弟とのことで、弟は10歳未満だそうです。弟は15日に発熱して同日から学校を休んでおり、兄は18日に発熱して学校を早退しました。いずれも19日に入院し、21日に陽性と判明しましたが、現在は回復傾向にあります。現時点では感染経路は分かっていません。町によりますと、小学校は同日午後の授業をし、今後保護者への説明会を実施するほか、校舎内の消毒を行って校内での感染拡大防止を図るそうです。鈴木直道知事は「学校に通う子どもが患者となった。さらに危機感を持って対応しないといけない。」と強調し、中富良野町の中島光明副町長は「迅速に対応したい。町全体として福祉施設の訪問制限など対策を強化したい」と話しています。

 

 この報道を聞き、ついに小学校にまで感染が広がったことに衝撃を覚えました。いずれはそうなるやもしれないとうすうす感じてはいましたが、北海道のしかも中富良野という小さな町での出来事に驚きましたし、いつどこで感染者が現れてもおかしくない状態なんだと実感しました。専門家が語るように、すでに市中感染は起こっていました。見えないウイルスとの戦いは、予防策の徹底しか手段がありませんが、子どもたちにはそれが本当に難しいことだと感じています。それは、先日ホーム内で病気が流行したことからも明らかです。あれほど口を酸っぱくして、「うがい、手洗い、マスク」と強調しているのに、少しもやってくれません。ホーム内でも見ていないと適当にやったり、やったふりをするだけで、まったく危機管理意識がありません。他人に与える迷惑など微塵も考えていない生活ぶりに落胆するばかりです。そして、結局は外からウイルスをホームに持ち込んできてみんな感染するということの繰り返しです。

 

 里親の私たちまでが感染してしまいますと彼らの世話をする人がいなくなりますので、私たちだけでも感染しないように細心の注意を払って予防しています。おかげさまで、今回も私たち夫婦は感染を免れました。しかし、今回の小学生感染の報道は、さらに緊張感を持ってウイルス対策をしなければならないことを肝に銘じる機会となりました。子どもを守るためには、自分をしっかり守れる大人でなければならないと改めて実感しました。