ブログ00051 「似たもの同士」 2020年3月3日

 FさんとB君の仲が悪いということは以前にお話ししましたが、その状態は相変わらずで対応に困っています。特に中学生のFさんの方が極端にB君を嫌っており、それが態度に表れますので、今までも度々注意して来ましたが一向に改善されて行きません。確かに、B君に問題があって、Fさんをイラつかせているのも十分に承知しています。B君は、人の気持ちを察するのが非常に苦手なため、相手の気持ちを無視した言動をとってしまう弱さがあります。人との距離感を掴む事ができずに接近しすぎたり、自分が正しいと思うことを執拗に指摘し続けたりします。そのため、周りからうとまれがちになってしまいます。でも、本人は自分は間違っていないと確信していますので、直す必要を感じておらず始末に負えないのです。だからといって、嫌がらせをしていい理由にはなりません。この頃、FさんはB君の食器だけ配膳しないようで、B君が泣きながら訴えてきましたので、反省会の際にその話題に触れました。

 

 たとえ血のつながりがないにしても、家族としてひとつ屋根の下で生活している者たちの間にいじめがあってはなりません。軽い気持ちでやっていたとしても相手が深く傷ついているならばそれはいじめです。いじめかどうかを決めるのは、やっている人ではなく、やられている人の方です。いじめられていると感じさせたならば、それはいじめです。ですから、Fさんには、B君を悲しませるような言動は控えるように注意いたしました。B君に原因がない訳ではありませんが、Fさんは中学生ですから小学校中学年のB君にマジ切れしている段階でレベルが低いと思います。相手にしないで受け流せばいいのに、いちいち反応するのも幼い対応です。同じレベルで争ってどうすんのという話です。

 

 今までもたくさんの中高生がB君と生活してきましたが、誰もB君を相手にはしませんでした。極力かかわりを持たず、静かに立ち去って部屋に行っていました。まともに向き合っているのは、Fさんだけです。それはどこに理由があるんだろうと考えましたが、結局、2人は似たもの同士だとうことに行きつきました。似ているからぶつかるという状態になっているんだなぁと思いました。人は、自分に似た人間を嫌悪する傾向がありますから、結局は、「同じ穴の狢」だったということです。確かに、FさんもB君も似ています。自分を見るようでイラつくのでしょう。でも、今後どこに行っても同じような人は存在しますから、争わなくていいような距離感と対処法を学び、その問題を克服できるようであって欲しいと思っています。それを家庭で学ぶことが社会に出て行く準備と考え、忍耐強く指導を続けていかなければと自分に言い聞かせています。

ブログ00052 「正直」 2020年3月4日

 我が家では、正直であることを非常に重要視しています。それは、うそや言い逃れ、誤魔化しの癖がつくとこれからの人生において大きな不利益を被ることになると考えているからです。発達障がいを抱えている彼らは、隠し事や誤魔化しは苦手で、うそをついてもすぐにバレてしまいます。最初は、バレないと思って色々試してみるのですが、誤魔化し方が稚拙ですからすぐにバレてしまいます。そのため、この頃は何でも正直に話すようになりました。それは、うそがバレると2倍怒られることを学習してきたからです。悪いことをして怒られるのは当然のことですが、それを何とか誤魔化して逃れようとするのは、卑怯な行為なので2倍叱られることになります。うそをついて誤魔化すことが不利益になることをやった学んできてくれました。これは、大きな成長だと思っています。

 

 昨日の深夜、点検のために子どもたちが使っているトイレに入ると臭いので、恐る恐る便器のふたを開けると、大盛りのうんこが流されないままになっていました。しかも、私が58年間生きて来て見たこともない量であり、これは詰まって流れないのではないかと思い、少しずつ水を流しましたがやはり流れません。ある程度便器に水をためてから、大型のスポイドのようなもので(名前が分かりません。)何度も何度もシュポシュポしてやっと流しました。便器も汚れていたので、掃除するのに30分もかかりました。そこで、今朝1階のトイレを使用している男児4人を集めまして、「誰ですか、トイレでうんちをして流さなかったのは。」と聞くと、あっさりA君が「僕です。ごめんなさい。」と言いました。速攻解決です。本人曰く、夜の10時頃にトイレに行きたくなってしたけども流さなかったと言うことです。まぁ、それが幸いして便器から汚物が溢れなくて済んだので、怪我の功名と言うところですが、それを言うとまた同じことをしますから、「すごくたくさんうんちが出た時には、流す前にお父さんに知らせるように。また普通の時はちゃんと流すように。もし詰まったらすぐに教えるように。」と注意しておきました。ここでお話ししたいのはうんちの話ではなく、子どもたちが正直に話す習慣が身についていることを改めて感じて感謝だったという話です。ただ、告白してすぐに「ごめんなさい。」と謝るのですが、あまりにも簡単にすぐに謝るので、「こんなんでいいのか。」と疑問にも感じています。何だか、「ごめんなさい。」という言葉で簡単に決着をつけようとしている気がして、何だか軽い響きに感じられてしまいます。それに関しては今後の課題として、とにかく正直に話して素直に謝れるということは良いことです。今は、これでよしと致しましょう。

 

 素直であること、正直であることは、この世で生きていく上で大きな助けになります。特に、発達障がいを抱えている彼らにとっては、社会人になった時に可愛がられますし、肯定的に受け止めてもらえますし、愛されますし、我慢強くかかわってもらえます。横柄で頑固で高慢な障がい者ほど始末に負えない存在はありません。ですから、正直と素直は、彼らにとって何がなくてもどうしても必要な資質であると思っています。それを身に着けつつあることには、彼らの大きな成長を感じています。

ブログ00053 「挑戦」 2020年3月5日

 我が家では、挨拶をすることを非常に大切にしているという話はすでにいたしました。それは、良好な対人関係を築く上での基本中の基本だと考えているからです。挨拶は、相手の存在への気づき、肯定、尊重、尊敬の証であり、挨拶されることによって人は自分が肯定され、受け入れられ、愛されていることを実感できるのだと思います。挨拶は、単なる礼儀だけの話ではなく、相手への思いやりが込められた大切な他者肯定の行為なのです。それをおろそかにすることは、相手を粗末に扱っていることであり、人間関係を壊していく切っ掛けになる危うい行為です。それゆえに、口うるさく指導しているのです。

 

 ですが、子どもたち、特に中高生は反抗期も関わっているのかもしれませんが、この大切な行為を何とか逃れようといたします。今朝も、中学生のE君がデイサービスに出かける前に「行ってきます。」も言わないで行こうとするので、促すために「E君、行ってらっしゃい!」と大きな声で言うと、「あ、行ってきます。」と答えて出かけて行きました。彼に限ったことではありませんが、子どもたちは、大人から与えられたルールを徐々に自分の都合のいいように変えて行こうと挑戦して来ます。少しずつ少しずつ自分の望むルールへと緩和させようとして、分かっているのにあえて少し破ってみようとします。そして、注意されなければまた行ってそれを繰り返すことによって、あたかもそれが最初からのルールであったかのような既成事実にしようとします。E君も挨拶なしに出かけていけれるように、ちょくちょく挨拶なしで出かけようと試みます。しかし、私は彼のペースに乗せられませんし、そんな態度を容認いたしません。必ず、挨拶を要求します。彼は、我が家の岩盤規制を挨拶から崩そうとしていると感じるからです。ですから、私は譲歩いたしません。

 

 ルールを変えようとするのはB君に限ったことではありません。子どもたちそれぞれに変えたいルール(自分の都合のいいように)があって、果敢に変更できないか挑戦して来ます。しかし、ルールというものは彼らをいじめるためにあるのではなく、彼らの生活を守るためにどうしても必要だと思った最低限度の範囲で定めたものですから、簡単に変えれるようなものではありません。ですから、子どもたちがルールを変更しようと試みてくる度に、「こういうルールだったよね。ルールを破ったらダメだよね。約束はちゃんと守りなさいよ。」と注意します。それでも、またしばらくすると性懲りもなくルールを変えようと挑戦して来ます。彼らは本当にずるいし、どこまでもしつこいです。そのエネルギーを他に使えんかといつも思います。でも、私は簡単には譲りません。一度許すと勢いづいて、そこからどんどんと要求してくることが分かっているからです。そんなせめぎ合いをしながら私たちは生活しています。しかし、それは悲壮感漂うようなものではなく、どんな手で来るのかある意味楽しみにさえしています。ファミリーホームの生活は、毎日刺激的です。

 

ブログ00054 「体温計」 2020年3月6日

 我が家には、二種類の体温計があります。1つは10秒で体温の予測値を出すものと、もう1つは耳で体温を測って速攻値をだせるものの2つです。この2つとも、なぜだか測る度に温度が違います。そのため、何度も測っているうちに、一体どれが正しい体温なのか分からなくなっていきます。ネットで調べてみると水銀体温計で10分かけて測ると正確な体温が分かるそうなのですが、発達障がい児である彼らがじっと我慢できる訳がありませんから到底無理な相談です。結局、複数回測ったうえで、大体の平均値でこれくらいかなと判断いたします。このところ、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、毎朝デイサービスに行く5人の体温を測って用紙に記録しなければならず、一体どの体温が正しいのかでいつも迷ってしまいます。比較的に子どもの体温は高く、みんな平熱が37℃近辺ですので、体温計の若干の数値の違いで行かせてよいものかやめた方がよいのか判断に窮してしまうからです。結局、低めの体温を記入してデイサービスに送り出すことになります。

 

 ところが、昨日、A君がデイサービスに行くときには36.8℃だったので通常通り行かせたのですが、昼頃にデイサービスから「38℃ありますから迎えに来てください。」と連絡があって迎えに行きました。午前の診察には間に合わなかったので、午後診察の予約を入れて部屋で休ませました。午後の2時からの診察に行く直前に体温を測ると36.8℃〜37.2℃あたりの体温しかでませんでしたが、とにかく小児科に連れて行って診察してもらいました。先生の話では、検査の結果、インフルエンザでも溶連菌でもないし、喉も赤くなっていないし、下痢もしていないから、どこも悪くないとのことでした。結局、薬も出ずに家に帰って来て、明日に備えて休もうということにしました。そして、今朝、熱を測ったら36.9℃〜37.2℃の間で、これまた微妙な体温でした。新型コロナウイルスが拡大しており、世間も神経質になっている時でもありますから、もう一日様子を見ることにし、A君を休ませて小児科に連れて行きました。すると、またしても何でもないですと言われ、困ったものだと頭を抱えました。

 

 「こんなことではたまったものじゃない。」と考え、高額でも正確に測れる体温計を求めてドラッグストアに行ったのですが、在庫は口にくわえるタイプの婦人体温計が3個あっただけでした。ここにも新型コロナウイルス余波は及んでおり、マスク、トイレットペーパー、ティッシュだけでなく体温計までも品切れの状態になっていることには本当に驚きました。どうすればよいのか。更に頭を抱える事態となりました。ややしばらくこのような状態が続くかと思うと、本当に気がめいります。明日も体温計とにらめっこしながら、デイサービスに行かせるか否かの選択を迫られることになります。人生は本当に選択の連続です。選択に誤りがないことを神様に祈るばかりです。

ブログ00055 「大人の態度」 2020年3月7日

 体温が36.6℃を指したA君を含めて子どもたち5人は、元気にデイサービスに出かけて行きました。デイサービスでの彼らの生活がどうなのかは詳しくは分かりませんが(先生方も詳細は話してくれませんので、いやひどすぎて話せないかもしれませんが)、どうやら横柄な態度で先生方に接しているように感じられます。それは、デイサービスへの行き帰りの際のちょっとした態度や日常会話の端々で伺えるからです。先生に対する態度がLです。学校の先生方にも言えることですが、この頃の指導者はあまり強く叱りません。確かに、身体的・精神的・性的虐待があってはなりませんが、悪いこと(横柄な態度、無視、反抗、ルール違反、いじめ等)には真剣に叱っていただきたいと思っています。そうでないと彼らは善悪を学べませんし、悪事を見逃す大人をなめてかかり、横柄な態度で接するようになります。それはひとえに大人の責任だと私は考えています。

 

 大人の態度次第で、子どもの態度は決まります。彼らは、大人のその時々の反応と対応を注意深く観察しています。そして、それを観て自分の取るべき態度を選択していきます。彼らは、本当にしたたかです。ある意味で、獣のように自分の身を守る武器(鋭い牙や爪や角、強い力や早い足、厚い皮膚や頑丈な体等)を持たない子どもにとっては、相手を観察することが自分を守る唯一の手段だからだとも言えます。大人はいつも観られています。そして、その一挙手一投足に彼らは反応し、即座に自らの態度を選択していきます。特に、悪さをした時の態度は重要です。たとえ小さな事であっても、その時にちゃんと叱られないと彼らは道を踏み外します。悪いことを叱られなければ、やってもいいんだと思いますし、叱らない大人を見下し、それが横柄な態度へとつながっていきます。彼らだって、悪いことをしていることぐらい分かっています。叱られて当然だとも覚悟もしています。なのに叱られなかったら大人に対する不信感を抱くようになります。子どもは、叱られるべき時に叱られなければならないのです。当然のことながら、褒められるべき時に褒められなければならないは言うまでもないことでしょう。褒められることは、行為に対する承認であり、更に子どもたちをよい行為へと促すことになると思うからです。

 

 少し話を戻しますが、大人は、子どもをそのような態度にしている原因が自分にあることを認めなければならないと思います。子どもの態度が悪いのは、大人のせいです。そう思う時に、自らの襟を正さなければならないと感じます。学校やデイサービスでの彼らの態度に関しては、現場の先生方の問題ですが、少なくとも家庭ではちゃんとルールを守り、横柄な態度を取らずに素直に従う生活ができるように指導していますし、子どもたちはそうしています。学校やデイサービスで子どもたちに問題行動があるとするならば、ひとえに先生方の指導力の問題だと考えています。それを家庭のせいにしないでいただきたいと思っています。学校やデイサービスに私がいつもいるならば、悪事を見逃さずに叱りますが、私のいないところでの彼らの生活態度の責任は、現場の大人たちにあると考えています。ですから、学校やデイサービスの先生方には、「悪いことをしたらしっかり叱ってください。そのことで文句を言ったりはしませんので。」と伝えてあるのですが、なぜか遠慮がちに指導しているようです。それだけ、くだらないことでクレームをする親が多いからなのかも知れません。先生方にとっては、更に対応が難しい時代を迎えているのかも知れませんね。私にできることは、学校やデイサービスに送り出す前に、「先生方の言うことをよく聞くように。」と念を押すくらいのものです。子どもへの対応に苦慮されている先生方には、「先生方、くじけずに頑張ってください。」とエールを送りたいです。

 

 

 

 

ブログ00056 「火傷」 2020年3月8日

 昨日の夕方に、デイサービスでドーナツを作る調理をしていてCさんが手に火傷を負ったという連絡を受けました。5p程の範囲の熱傷であるとのことで、近くの皮膚科で診察を受けているので来て欲しいという話でした。詳しいことを聞いている場合ではないので、状態は気になるもののとにかく病院に直行しました。病院に急行し、待合室に入るとデイサービスの先生とCさんが診察の順番を待っている最中でした。先生から簡単に経緯を聞くと、CさんとD君がドーナツを揚げてる際にD君がドーナツをトングでつかみ損ねて落とし、油がCさんの手にはねて火傷を負ったとのことでした。彼らには、揚げ物調理をすること自体危険ですし、熱くなった油が溜まっている1つの鍋を2人の子どもが同時に作業することはもっと危険だし、しかも先生が目を離している時に事件が起こったようで先生の監督不行き届きだったと思います。発達障がいを持つ児童の調理ならば、細心の注意を払って行うべきでデイサービス側に落ち度があったことを伝えました。デイサービスの先生は、ひたすら謝っていましたので、それ以上の叱責はいたしませんでしたが、何とも後味の悪い話でした。

 

 診察の結果は、2度の火傷状態で塗り薬を1日2回塗ってガーゼで保護し、飲み薬を1日3回食後に飲むように指示され、来週状態を診せに来るように言われました。皮膚科でデイサービスの先生と別れた後、調剤薬局で薬をもらい、手当て用のガーゼを購入しようと思いましたが、これまた新型コロナウイルス余波でガーゼを売っているお店がありませんでした。手作りマスクを作るためかも知れませんが、必要な人に必要な物が届かない社会というのは、人の心が貧しい社会だと感じました。たとえ物質的に豊かな国であっても、結局は心が貧しければ必要な人に物が届かない貧しい国になることが今回のことで良く分かりました。今まで気づかなかったけど、日本は本当は貧しい国だったんだと実感しました。とにかく、流通が回復するまでのしばらくの間は、ホームにあるガーゼで対応しようと思っています。それでも足りなければ、知恵を使って何かで代用しようと考えています。ガーゼを求めて奔走はしません。工夫すれば何とでもなりますから、決して慌てたり取り乱したりしないで対応しようと思っています。子どもたちに見苦しい姿を見せたくはありませんので…。

 

 本当のところは分かりませんが、痛みが残っているとCさんがいうので、昨日に引き続き今日も朝から氷嚢で冷やしています。男親(実親ではありませんが)としては、女子の怪我は人一倍気になるものです。手とはいえ、女子ですので火傷の跡が残らないことを願っています。明日にはもう一度受診する予定でいます。

 

 

ブログ00057 「事務作業」 2020年3月9日

 今日は、朝から溜まっていた事務作業を行いました。国から措置費をいただいてファミリーホームを運営していますので、しっかりと事務作業をこなすことは当然の義務です。これを地道に毎日コツコツと行っていればよいのですが、児童の養育を優先しているうちについつい事務作業を後回しにしてしまい、気づくと溜まっているという始末です。毎日のように子どもたちは病気やケガをしたり、問題を起こしたり、買い出しや用事をこなしたりと、生活支援にに追われているうちに一日が終わってしまうという日々です。毎日記録しなければならない育児日誌はちゃんとつけていますが、会計処理、送付される郵便物や児相からの通知確認、文書整理、施設管理等などにはなかなか手が回りません。正直に言って、事務作業をこなすのは大変です。ですから、「やるぞ」と覚悟を決めて取り掛からないとできない仕事です。

 

 元々、ファミリーホームは里親を大きくしたものであり、里親の範疇に属する事業として導入されました。私がこの事業に参入した平成22年の際には、児童の養育に時間をかけれるように、できる限り事務作業を軽減しようという趣旨だったと思いますが、どんどん養護施設並みの事務作業を要求されるようになってきました。その分、養育者の負担は大きくなってきています。児童養護施設のように、事務員、調理員、清掃員、用務員、ボイラー技士まで雇ってもらえ、養育者は養育だけに専念できるという優遇された立場ならばよいのですが、ファミリーホームは全部自分たちで行わなければなりません。ファミリーホーム事業者は、問題を多く抱える児童の養育だけで手一杯であり、事務作業まで手が回らない状態になっても仕方のない構造だと思います。ある北海道のファミリーホーム事業者は、子どもが起きる前の朝の3時から起きて事務作業をこなしていると言っていました。そんなことをしていてファミリーホームが維持できる訳がないと思っていましたが、その事業者は後に廃業いたしました。

 

 国は、平成28年度に児童福祉法を改正し、「里親委託優先の原則」を打ち出しました。これからは社会的養護の主流を里親・ファミリーホームに担わせ、被虐待児童の養育を優先的に里親・ファミリーホームに委ねようとしていますが、ファミリーホームがこのような状態では期待にそえるような働きはできないと思います。どのファミリーホーム事業者も大きな犠牲を強いられて疲弊しています。このままでは、ファミリーホーム制度は崩壊してしまいます。里親・ファミリーホーム委託優先の原則を打ち出すなら、それに見合った支援体制・援助体制を整えて欲しいものだと、ぶつぶつ言いながら事務作業を行う一日でした。

ブログ00058 「協力」 2020年3月10日

 今日から家内は、研修を受けるために15日まで東京に出張します。この期間、私1人で子どもたちの生活支援をすることになりますが、家内に頼り切っていた私にとっては、慌ただしく困惑する日々を送ることが想像されます。そのため、子どもたちには事前に、「お母さんがしばらくいないので、みんなで協力してこの困難を乗り切ろう。」と数日前から話をしています。私は、助けが必要な時には自分1人で何とかしようとは考えないで、遠慮なく子どもたちに協力を求めます。それが家族だと思いますし、親だって子どもに助けてもらっていいんじゃないでしょうか。私は、子どもに助けてもらうことが恥ずかしいと思うようなくだらないプライドは持ち合わせていません。子どもに助けてもらう機会を与えてこそ、子どもたちも家族の一員としての実感を味わえるのではないでしょうか。私はそう思っています。

 

 常々子どもたちには、「家族はみんなで協力して成り立たせるものであり、1人1人が家族の重要な構成員としての自覚を持ち、家族のために自分にできることを積極的にしよう。」と話しています。ともすれば、里親を自分たちの生活支援をするための家政婦かのような不届きな考えを持つ児童もいますので、日頃から「お父さん、お母さんは、君たちの爺やや婆やではありませんからね。自分のことぐらい自分でしてくださいね。」と口をすっぱくして言っています。お世話されて当然であるかのような傲慢な人間になることのないように、感謝の気持ちを忘れず、自らもその愛に答える生き方をすることを忘れてはいけないと、彼らには事あるごとにいつも話しています。しかし、その願いがちっとも伝わって行かないことにむなしさを感じることも多々ありますが、「いつか、少しでも」という思いで言い続けようとは思っています。

 

 さて、今回の家内の長期不在は、日頃の教育の成果が試される機会となります。果たして、子どもたちはどんな生活をしてくれるのか楽しみでもあり、またガッカリするのかという不安もあり複雑です。でも、期待することを諦めてしまったらそこで試合終了ですから(何かのアニメのセリフにあった気がしますが)、期待して今日からの生活を始めたいと思います。このブログで、子どもたちの成長ぶりを少しでもお話しできればと願ってはいるのですが…。

ブログ00059 「我慢の限界」 2020年3月11日

 昨日の夜8時半頃に、CさんがFさんに怒りをぶちまけている場面に出くわしました。普段は、仲のいい女子2人ですが(一見そのように見えるのですが)、我慢の限界を迎えたCさんがFさんに食って掛かって文句を言っていたようです。予想外の珍しい光景だったので、通りかかった私は、最初はCさんがB君に怒っているのかと思ったほどでした。日頃からCさんが年上のFさんに気を使って我慢していることは薄々気付いていましたので、「ついにやったか。」という思いです。女子2人の関係は、ひとえにCさんの我慢の上に成り立っているものであり、仲が良さそうに見えるのもCさんが気を使って合わせるという努力のおかげでした。そのことが気にかかっていた私は、Cさんに「何でFさんに文句がいえないの。彼女が怖いのかい。」と尋ねましたら「そうです。」というので、「何が怖いん? 体がでかくて威圧感があるからかい?」と続けて尋ねると「そうです。」と答えました。確かに、Fさんはでかい。体も大きいが、態度もでかい。体当たりしても勝てそうもない。だから、怖いという気持ちも分からない訳ではないが、Cさん1人で立ち向かうわけではなく、他の兄弟もいますし、どうしようもなければわたしもいます。間違ったことをしている人には、みんなで注意して立ち向かえばいいのです。そこで、先日Cさんに「君ばっかりが我慢する必要はないんだよ。不満に思うなら正直に伝えることも大切だよ。犠牲の上に成り立つ友情なんて友情ではないからね。それでFさんに辛く当たられたならみんなで対抗すればいいんだし、お父さんもいるからな。遠慮しすぎるなや。」と話しました。それで、思い切って怒りをぶちまけたんだと思います。

 

 少し話を聞いて、CさんがFさんに怒っているのは分かったのですが、何を怒っているのか分かるのに時間がかかりました。Cさんは言葉が苦手な上に興奮しているので、理解するのに苦労しました。結局は、Fさんから解説してもらって理解できました。どうやら、Fさんがお礼を言わないことが我慢できなかったようです。Cさんが言うには、日頃から色々とFさんの頼みを聞いてあげているのに、お礼を言ったことがなく、そのことがずっとムカついていたそうです。そしてついに、昨夜、他の児童とゲームをしていたCさんに、Fさんが通るのに邪魔だからのいてくれと言うのでよけたのに、「ありがとう。」と礼を言わなかったことにぶちぎれたそうです。そのあまりの剣幕にFさんもタジタジになり、「ありがとう。」といって2階の部屋に逃げて行きました。後で、Cさんには「よくやったな。頑張って言えたな。」と褒めておきました。

 

 片方だけが我慢を強いられて成り立つ人間関係は、必ずいつか破綻いたします。正直に気持ちを言い合って受け止めてもらえる関係こそ、真の友人関係だと思います。そんな関係を子どもたちの間でも築いていって欲しいものだと願っています。その後のCさんとFさんのことは少し気がかりでしたが、今日の夕方には仲良く笑いながら話していたので、そこそこ関係は修復されていいるようで安心しました。大人同士ならばこうは行きませんが、子どもの関係回復は本当に早いと実感しました。

ブログ00060 「危機管理意識」 2020年3月12日

 先日、デイサービスでCさんが調理中に火傷をしたことはお話ししましたが、その後のデイサービスの対応に疑問を感じています。火傷を負った左手には大きな水ぶくれができ、何とも痛々しい状態であり、度々皮膚科の病院に通っています。完治がいつ頃になるのかは分かりませんが、私の印象としては数か月かかるような気がします。当然のことながら、その間の通院にかかる交通費、ガーゼや包帯などの医療品代の出費は必要になりますし、養育者の手間もかかって負担が増えます。なのにデイサービスからは、損害保険からの支払いはできないとの話で納得がいきませんでした。確かに、委託児童ですので治療費は国庫負担で支払われますが、治療に付随する費用の負担までは見てくれませんので、損害保険で賄うのが当然だと思います。でも、治療費しか保証しない保険なので、今回のように治療費が国庫から出ている場合は一切出せないとの話でした。

 

 私としましては、子どもを預かる事業でありながら、事故の際の対応ができていないことに不信感を抱いてしまいました。私も児童を預かる事業にかかわっている関係上、事故の際の対応は充分に考えており、できる限りの備えをしています。子どもは何をするか分かりませんので、どのような事故に遭遇するか想定はできません。ですから、何が起こっても十分に対応できる損害保険に加入しています。怪我の際には、治療費だけではなく治療に付随する様々な費用(通院交通費、包帯やガーゼ等の医薬品代、介護者の手間賃、生活支援金等)も出る損害保険に加入していますし、最悪の死亡事故の際にも1事故に対して4億円の損害賠償請求に応じれるようにしています。それぐれいは備えていないと、多額の損害賠償請求をされた場合に事業を閉鎖しなければならないことになります。そんなことになれば、今預かっている児童の養育を続けていくこともできなくなってしまいます。

 

 私の考えから言わせてもらえば、デイサービスの危機管理意識は低すぎます。デイサービスの先生に聞いても、どのような内容の損害保険に加入しているのかまったく理解しておらず、質問してもいちいち本部に確認しないと返事が返ってこない有様です。そんな状態でよく児童福祉事業ができるものだと呆れています。確かに、デイサービスの先生方はよくやってくれていますので感謝していますが、それとこれとは別な話です。善意だけでできないのが児童福祉事業です。何と言っても大切な命を預かる事業なのですから。デイサービスさんには意識改革をお願いしたいところです。