ブログ00131 「疲労」 2020年5月22日

 今日は朝から体の調子が悪く、体を休める一日になりました。若い時に無理をしたのが祟ったのか、歳をとったせいなのかは分かりませんが、ちょくちょく体の調子が悪くなります。そんな時は、体を休める以外に対処方法はございませんので、自己治癒力に信頼して多くの時間を休息に使いました。とは言いましても、国から大切な児童を預かっていますので、朝食は食べさせなければなりませんし、デイサービスに行く準備をさせて、水筒とお弁当を持たせて送り出すまではちゃんとやらなければなりません。体調が悪いからと言って簡単に休むことはできません。そこが辛いところです。やっとのことでデイサービスに送り出し、ホッとして休息しました。これで彼らがデイサービスで何も問題を起こさなければ、夕方のまでは休めるんだけどと不安を抱えながら休みに入りました。感謝なことに何も問題も起こらず、ゆっくり休ませてもらって元気を取り戻しました。

 

 人は多かれ少なかれ無理をしながら生きていますので、体調を崩したからと言って容易に休めないことは特段大変なことだとは思いません。私よりももっともっと苦労しながら生活している人がいますので、今の生活に不満を言うつもりもありません。ただ、誰かと生きていくと言うことは、自分の都合だけでは生きられないものであり、それが家族というものなのだと改めて思いました。子どもはよく「俺の勝手だ。」と言いますが、家族である限り自分だけの問題ではすまされません。家族には有機的なつながりがあり、良いことであれ悪いことであれすべての影響を与える存在だからです。家族である限り、「お前には関係ない。」ではすまされないのです。それゆえに、お互いの生活や人生に大きな影響を与え合う存在であることを忘れることなく、家族のために責任ある生活を過ごすように努めなければならないのです。

 

 そのことを子どもたちに分からせるというのは至難の業です。子どもたちはどこまでも自己中で、自分の生き方が家族に影響を与えることまで考えが及びません。自分の人生は自分だけのものだと考えています。ある意味それは正しいのですが、別の意味では間違っています。その人の人生はその人のものであり、その人の生きたいように生きる自由と権利があります。でも、家族に迷惑をかけるような自由と権利は認められるものでもありません。家族は生命共同体ですから…。自由とか権利とかいう問題は、家族に迷惑をかけない範囲で許されるという微妙なバランスを保ちながら行使するものです。子どもたちがそれを理解するには、まだまだ長い時間を必要とするのだろうと思います。でも、今より少しずつでも自由と家族への配慮を両立させる生き方が身につくように指導できればと思っています。

ブログ00132 「不満顔」 2020年5月23日

 Fさんが損をしていると思うのは、何か不満に思うことがあるとすぐに顔に出てしまうところです。今、ホームの女子の間で「あつまれどうぶつの森」というニンテンドースイッチのソフトが流行っていまして、そのゲームを午後からひとりでしたかったようです。いつもは、早めに勉強を終わらせて午前中にCさんと交代交代でプレイしているのですが、Cさんがデイサービスに行くまでの時間が短いために十分に遊べないことが不満だったようで、自分だけで午後から遊ぼうと計画していました。と言いましても、ホームでは一日2時間までという制限がありますが、まとまった時間プレイして進めようと思っていたようです。それで今朝突然、「午後からゲームしたいんですけど。」と言われたのですが、午後からは私たちが用事で出かけることになっていましたので、「それはできない。」と伝えるとあからさまに不満を顔に表しました。決して、口で不満を言うわけではありませんが、見るからに不満なのがありありと顔に表れており、正直言って嫌な思いをしました。

 

 元々、午後からは出かける用事がたくさんあるので、午前中にゲームやパソコンをするようにといっているのですが、どうも理解していないようで度々許可を求めてきます(知ってはいるけどできるかもしれないとチャレンジしてきているのかも知れませんが…)。我が家ではゲームができる部屋は居間と集いの部屋の2か所だけと決められており、里父か里母のどちらかがいないとできないことになっています。それは、自制できない彼らの自由にさせると限りなくゲームをして遊んでしまうからです。それ故に彼女は許可を求めてきているのですが、前日に予定を聞いて許可を求めるならまだしも、すでに出かける予定が入っている状態で自分の都合を押し付けられましても聞ける訳もございません。当然のことながら、「午後からは用事で出かけることが多いので、午後からゲームはできないことは話していますよね。」と答えることになります。私からすれば分かり切った答えなはずですが、それにもかかわらず不満をあらわにするのです。理解に苦しみます。

 

 Fさんは、確かに口答えをするわけもごねるわけでもありませんが、不満がありありと顔で表現されており、ある意味口答えよりも嫌な印象を相手に与えます。恐らく本人には自覚症状がないのでしょうが、これからの彼女の人生を考えますと、「この子は顔で損をするなぁ。」と思わされます。決して彼女がブスだと言っているのではありません。どちらかというと可愛い女子だと思います。ちゃんと挨拶もできますし、気遣いもできる子ですが、それを全部帳消しにしてしまう程のインパクトを相手に与えてしまう不満顔です。変顔どころじゃありません。このまま実家に帰らせるとどうなるかと想像するだけで胸が痛みます。彼女の幸せな家庭復帰を願っている私たちとしては、大きな悩みの種となっています。今のところ有効な打開策は見出せません。どなたか良い知恵がありましたらご教授いただけないものかと願っています。

ブログ00133 「公園」 2020年5月24日

 北海道も明日には非常事態宣言が解除される方向で話がまとまっているようで、外出自粛ももう少しの我慢というところだと思いますが、一週間も一歩も外に出ていないFさんのために人のいない公園で短い時間だけ遊ばせることにしました。本人の希望で二番通り公園に行きまして、ソフトテニスやバトミントンやサッカー等を40分程遊ばせました。私たちが遊び始めたころはほんの僅かしか人がいませんでしたが、群集心理が働いたせいか徐々に人が増えていきました。改めて人は群れるのが好きなんだなぁと感じました。吸い込まれるように人々が次々に集まってきます。私たちは危険を感じましたので、予定より早く切り上げて帰えることにしました。

 

 最初から短い時間しか遊べないことは伝えておきましたので、彼らは悔いのないように休まず思いっきり遊んでいました。私も少しは一緒に遊んであげようと思いましたが、まったく体がついて行きません。体は痛いわ、足はもつれるわ、息切れはするわで、少しも子どもたちのスピードについていけません。つくづく歳をとったなぁと実感しました。そういえば、この頃A君を病院に連れてい行っても医者や看護師から「おじいちゃんに連れて来てもらったの?」と確信をもって言われます。A君はポカンとしていますが、私は訂正するのも面倒くさいのでそのまま言わせています。ただ、「おじいちゃんかなと思っても、お父さんかもしれないくらい思ったらいいのに。」とは思いますが…。この頃は高齢出産というのもあるのだから配慮は必要だと思いますが、やはり客観的に言って親子関係に見えるには無理がある年齢差なのかも知れません。こういうことがある度に、小さい児童の受託はそろそろ限界かなぁと感じます。

 

 児童相談所は、一見親子に見える年齢差の児童を委託したいと考えています。それは、他の児童に比べて親子として奇異に感じられることのない状態にしてあげることで余計な悩みを持たせないために必要なことです。周りの友達の親は若いのに、自分の親(里親)が年寄りだと目立ちますし、恥ずかしいと感じるのは自然な感情です。私も年寄り子だったので、父親が授業参観に来るのが嫌でしたのでその気持ちは分かります。それと、児童のこれからの生活のことを考えてのことでもあります。児童の生育において精神的にも肉体的にも相応しいかかわりができる年齢の里親に委託したいと考えるのは、自然な行為です。今回私が公園で体力の限界を痛烈に感じたように、子どもと無理なく一緒に走ったり、遊んだり、スポーツしたりできる年齢である里親の方が望ましいのは言うまでもありません。その方が、子どもたちにとっては一緒になって思いっきり遊んでくれる里親の方がずっと楽しいと思います。そう思うと、私の里親としての人生は終焉を迎えつつあると感じますし、これからはもっともっと若い里親さんが増えてくれることを念願いたします。そうでないと、私のような年配者に幼い子供が委託されてくるという不釣り合いな親子が誕生することになり、児童も里親も共に苦労することになります。是非とも、若い方々に里親になっていただきたいと、公園で息を切らせながら真剣に思いました。

ブログ00134 「将棋」 2020年5月25日

 我が家では、今子どもたちの間で将棋が流行っています。何でデジタルの時代にこんなレトロなゲームが流行っているのかと不思議に思っていましたが、どうやら、デイサービスに将棋好きの少年がいるらしく、みんな将棋の対戦を見ているうちに駒の動かし方を覚えたそうです。あれほど繰り返して教えている約束事は覚えないくせに、好きなことだとあっという間に覚えてきます。呆れたものです。そしてデイサービスから帰ってくると、5人の子どもたちが誰彼となく無差別に試合を申し込んでいるという状態です。私もかつて中学生の時に友人から将棋を教えてもらいましたので少しは分かりますので、次々と子どもたちの相手をさせられます。と言いましても、子共たちは駒の動かし方を知っている程度でめちゃくちゃ弱いのですが、それでも何度負けても勝負を挑んできます。まぁ、将棋は負けるだけ強くなるゲームですので、たくさん負けて学んだらよいと思います。

 

 子どもたちは、デイサービスで将棋を教えてくれた友だちと将棋をして勝ったと言っていますが、恐らく手を抜いてくれたのだと思います。あまりにもコテンパンに負け続けていますと意欲を失ってしまいますので、友だちの配慮だろうと想像しています。一方私は、何度も何度も次々と対戦を挑まれてうんざりしていますので、「お父さんとはしたくない。」と思ってもらいたくて手抜きせず戦います。そのため、あっという間に終わるのですが、中々彼らは諦めてくれません。毎日のようにデイサービスから帰って来ては対戦を挑まれますので、まったく仕事が手につかなくて困っています。「もういい加減にしてほしい。」と思いつつも、これも父親の役割かと無理やり自分に納得させて取り組んでいます。誰か将棋好きの方にこの子たちをお任せしたい気持ちで一杯です。

 

 それにしても、子どもたちは友人から受ける影響が多きのだということを感じさせられます。たったひとりの児童の影響で、みんなが将棋ファンになってしまうのですから…。出会った友だちが良くても悪くても絶大な影響を受けることになります。改めて、子ども時代にどんな児童と友だちになるのかと言うことは非常に大きな問題だと感じました。恐らく、一生を左右する問題になるかも知れないと思いました。聖書にも「思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。」(Iコリント15:33)と記されている通りです。願わくば、彼らが本当に良い友だとに恵まれるようにと心より願っています。

ブログ00135 「問い合わせ」 2020年5月26日

 本日、ある方からファミリーホームに関する問い合わせの連絡がありました。どうやらホームページをご覧くださっての連絡のようで、とても嬉しく思いました。歳を重ねたアナログ人間が、見よう見まねで作成したあまり見栄えのしないホームページですが、それをご覧くださった方がいたというだけで大きな励みにもなりました。しかも、ファミリーホームに関心を持ってくださったということが何よりも嬉しいことでした。ホームページを開設した理由は、まったくと言っていいほど知られていないファミリーホームについて少しでも知ってくださる方が起こるようにと願ってのことでしたので、今回のことはその目的を一つ達成できたことになります。「これからも頑張らねば。」と思いを新たにしました。

 

 ファミリーホーム制度は、厚生労働省によって平成21年度に導入された新しい社会的養護の在り方であり、殆どの方はその存在すら知りません。あまりにも児童養護施設主体で社会的養護が行われてきた長い歴史のせいか、被虐待児童の受け入れ先として児童養護施設しか思い浮かばない人々ばかりです。でも、世の中は変化しています。国は、被虐待児童の養育を里親・ファミリーホームに優先的に委託し、家庭的環境下で養育する方針へと大きく舵を切りました。これからは、里親・ファミリーホームが社会的養護の主役を担うことになります。しかし、今の里親・ファミリーホームでは、あまりにも荷が重く、より多くの方々の賛同、協力、支援、参入が必要とされています。そのための一助になりたいと思ってのホームページ公開でした。

 

 本日お問い合わせくださった方は、近々にご連絡くださって「ファミリーホーム 恵みの家」を訪問してくださるとのことでした。訪問大歓迎です。ネットで色々な情報を集めるよりも実際に現場を見ていただき、そこで生活している養育者の話を直接聞くことの方がずっとファミリーホームの.本質を知ることができます。児童養護施設のような立派で見るからに施設といった建物ではなく、普通の一般家庭と何ら変わらない養育現場に驚かれる方もいます。でも、「なんだ、普通の家庭じゃないか。」とガッカリされるかも知れませんが、もしもそうならファミリーホームは大成功です。子どもたちにごく一般的な家庭生活を送らせることが目的ですから普通でいいのです。いや普通がいいのです。子どもたちが求めている生活環境は、他の友達たちと同じ生活環境なのですから…。ファミリーホームに関心のある方は、是非とも一度「ファミリーホーム 恵みの家」をご見学ください。大歓迎です。

ブログ00136 「いじめ」 2020年5月27日

 今日、デイサービスでD君がいじめにあって泣いてしまったそうです。周りの子どはもたちは、ただふざけていただけでいじめるつもりはなかったとの話で、デイサービスで謝らせて解決していますとの報告を受けました。事の詳細は本人に聞いてもよく分からなかったのですが、どうやらふざけてみんなでD君をこそばしていたようで、D君も笑っていたので「やめて!」という言葉も本気で言っているとは思ってくれなかったようです。近くにいた友だちにも「やめさせて!」と頼んだけど誰も助けてくれなくて、辛くなってついに泣いてしまったというのが簡単な経緯のようです。典型的ないじめのパターンです。いじめている側は、相手が喜んでいると思っており、「やめて。」という言葉も楽しくて言っているとしか受け止めてくれず、更にエスカレートした行為になって追い詰めていくのです。その時に、ひとりでも真剣に「やめて!」という言葉に本心を見出して助けてくれる人がいたならば、彼が泣くことはなかったのでしょうが、残念ながらそんな人は誰もいなかったのです。これも、典型的ないじめの状態です。

 

 私が問題だと思ったのは、そのいじめのメンバーの中にCさんがいたことです。家族として一緒に生活している兄弟なのに、助ける側ではなくていじめる側に加わっていたことには問題を感じました。デイサービスの先生は「謝らせて解決しています。」と言っていましたが、私としましてはこのままでは済ませられないと思いましたし、もう一度いじめについて考える良い機会にもなると思って2人と話しました。Cさんは「D君が笑っていたので喜んでいると思っていたし、やめてと言っているのも冗談だと思った。」と話し、「でも、もう謝りましたよ。」と言いました。私は、Cさんに「人は笑っているから喜んでいると思うのは大きな間違いです。怒ってやめるように言うと、相手に嫌な思いをさせるからという優しさであったり、友だち関係を壊すのではないかと心配したり、もっといじめられるのではないかと恐れたりして強く言えない子どももいるんだよ。でも本当は心は泣いている場合もあるのだから、相手が笑いながらであっても『やめて!』と言っているのならすぐにやめなければいけませんよ。ましてや、D君は同じ家庭の兄弟ではありませんか、君から『本人がやめて欲しいと言っているのだからやめよう。』とみんなに言ってあげて欲しかったよ。また、どこかでいじめを受けて『やめて!』と言っている子がいたなら、その子がどんなに楽しそうにしていても心で助けを求めているかもしれないと思って、いじめている子を止める子になって欲しいと思いますよ。」と話しました。そしてD君には「嫌だと思ったならば笑いながら言ってはいけません。笑っているといじめている方は喜んでいると勘違いするから、真顔で真剣に『やめて。』と言わなければだめですよ!」と話しておきました。

 

 いじめの問題は本当に後を絶ちません。先日SNSで誹謗中傷された木村花さんも、心無い言葉に命までの奪われてしまいました。今回のことで国も対策を練るようで、高市早苗総務相は26日の記者会見で「匿名で他人を誹謗中傷する行為は人として卑劣で許しがたい」と述べた上で、発信者の特定を容易にするための制度改正を「スピード感を持って行う」と語りました。制度改正でいじめがやまるとは思いませんが、少しでも悩む人が減らせるならば無意味とは言えないでしょう。でも、やはりいじめは心の問題であり、ひとりひとりの心の持ちようが問われている問題なのだと個人的には思っています。

ブログ00137 「誕生日」 2020年5月28日

 今日はFさんの誕生日でした。Fさんは我が家に来てもう少しで2年になります。本人としては、誕生日を迎えるまでに親元に戻る計画でいましたが、新型コロナウイルスの影響でその願いは残念ながら叶いませんでした。非常事態宣言がだされている中でウイルスの感染拡大を防ぐために、実親さんと里子の面談や外出外泊はすべて中止になってしまいましたので、帰宅の準備を進めていくことができませんでした。そのため実家で誕生日を迎えることはできませんでしたが、せめて少しでも元気の出る誕生日にしてあげたいと思い、本人の好きな魚料理とケーキをたくさんテーブルにならべてお祝いしました。Fさんもそこそこ喜んでくれたようで良かったと思っています。

 

 ファミリーホームに措置された児童は、ホームで落ち着いた日常生活を送る中で、基本的な生活習慣や家族との相応しいかかわり方を身に着けてから実親さんの元に帰る準備を進めます。概ね、実親さんの元に帰るまでには4つの段階を踏んでいきます。第一段階は児相やホームでの面談、第二段階は外出、第三段階は短期間の外泊、第四段階は長期の外泊という段階を順序良く踏んで家庭の再構築が可能であると判断されたら、実親さんの元に帰ります。Fさんも長い時間をかけて実親さんとの距離を縮め、あともう少しで帰宅できるというところまで来ています。完全に準備が整っているということではありませんが、「よく頑張ってきたなぁ。」とは感じています。あとは、ここでの生活を実親さんの元でも実践できれば大丈夫だと思います。帰宅が間近であっただけに、新型コロナウイルスに翻弄されていることを可哀想に思います。一刻も早く新型コロナウイルスの感染拡大が収束し、帰宅への準備が進むようにと願っています。

 

 人生というものは思い通りには行かないもので、嫌でも現実を受け入れて生きていくしかありません。Fさんには、くさることなく諦めることなく帰宅への準備を着々と進めていって欲しいと願っています。今のところ、Fさんも冷静に受け止めて変わらない日常を送っています。本当は悔しい思いをしていると思いますが、それを彼女なりに受け止めて対応していることに成長を感じています。新型コロナウイルスの影響による不測の事態をも自らの成長の糧にしてくれればと願っています。

ブログ00138 「アベノマスク」 2020年5月29日

 本日、アベノマスクが自宅に配達されました。ニュースで北海道配布分も届けられたとの報道がされていましたので、「そのうちに来るだろう。」と思っていましたが、やっと我が家にも届けられました。安部首相の肝いりで配布が決められたアベノマスクですが、思いの外配布するのに時間がかかっているようです。4月1日に全国のすべての世帯に2枚ずつ、布マスクを配布する方針を明らかにしてから約1か月半になりますが、5月27日時点で約25%の家庭にしか配布されていないようで、未だにマスクが届かない地域が多く、不満の声がでてきていいるとも聞いています。個人的にもあまりにも時間がかかり過ぎているように思います。マスク製造に不備があって回収したり、検品作業をやり直したりして時間がかかったという面もあったようですが、それも正直言ってお粗末な話であって、最初から信頼できるメーカーに依頼しなかった政府の落ち度であったと思います。ある意味「批判されても仕方ないかなぁ。」と思います。

 

 それに、私たちのホームには6人の委託児童を含めて8人の世帯です。そこに「2枚だけ送られてもなぁ。」と頭を抱えます。決して無駄だとは思いませんが、どうしたものかと考えてしまいます。正直言って、私たちだけアベノマスクを使用して子どもたちに使わせないということもしたくありませんし、6人の中の2人の児童だけに与えるというのも不公平になりますので、結局は使えません。それで家内とも相談し、あるご婦人にプレゼントすることにしました。その女性は障害があるらしく、よだれがたくさんでるために水分を吸収してくれる布マスクが必要だとのことでしたので、少しでも役立ってもらえればと思ったからでした。小さなことですが、そんな小さな善意の積み重ねで人々は結構助けられるものだとも思っています。私としては彼女にも必要でしたし、私たちも有効利用ができましたのでお互いにとって利益になることでした。

 

 結局のところ、アベノマスクはスピード命の救済活動だったはずなのにこんなに時間がかかったせいで、すでにスーパーでマスクが販売されるようになってしまっている状況では(少し高価ですが、近くのビックハウスで50枚入り2450円で制限なしで販売されています。)、有難味もなくなってしまいます。遅きに失した感があります。国が行う救済事業は、国民の血税を投じての事業となりますので、皆さんのコンセンサスを得るのに非常に手間がかかります。そのため、すぐに対応する有効な救済支援にならないことが多いのもやむ負えないことだと思っています。ただ、速やかに救済事業を行った国もありますので、他の国のように素早い対応ができるように制度改革の必要があるとは思いますが、まだまだかなりの時間が必要だと思います。救済活動というものは、本来近くにいる人間の相互扶助で賄うのが理想的であると思います。国の制度に頼るのは、ある意味で相互間の愛が欠如しているからであり、その相互愛不足を補うための手段であると思います。人間がお互いに愛し合っているならば、恐らく国が救済事業や福祉事業を行わなくても困っている人はお互いの優しさで助けられるものだと思います。机上の空論に過ぎないと多くの人は言いますが、少なくとも私は理想を失いたくはありませんし、自分は少しでも理想に近づきたいとの思いを失いたくはないと思っています。国の支援がなくてもお互いの優しい思いで助け合える愛の世界が、私たちの住んでいるこの世界で実現されればいいなと心より願ってやみません。

 

 

 

ブログ00139 「誕生日プレゼント」 2020年5月30日

 長い間、新型コロナウイルス騒ぎで買い物に行けなかった子どもたちを万代(中古ゲームソフト店)とコーチャンフォー(書店)に連れて行きました。2月から外出を控えて一切お店に行きませんでしたが、その間に誕生日を迎えた3人に遅ればせながらプレゼンを贈りたいとの子どもたちの希望でしたので、「それならば。」と思い切って出かけることにしました。ただ、非常事態宣言が解除されたとはいえ、第2波、第3波を警戒する必要があるために三密を避けなければなりませんので、マスク着用と消毒液塗布厳守の上、それぞれのお店での滞在時間を30分と決めていきました。

 

 子どもたちは、久しぶりのお店での買い物に興奮し、あれを買おうかこれを買おうかと忙しく迷っていました。その姿を見ていて、「本当にお店に行けれる日を心待ちにしていたんだなぁ。」と思い、早く新型コロナウイルス拡散が収束して普段の日常生活が戻って欲しいものだと思いました。この頃の報道を見ていましても、ウイルスを撲滅することは難しいようですが、せめてウイルスをできる限りコントロールできる状態(新しい生活様式を取り入れた生活)にできなければ安心した生活を取り戻すことはできません。そのためにも、一刻も早く抗体検査の体制が充実すると共にワクチンが開発されることによって新型コロナウイルスに対する充分な対応が整うようにと願うばかりです。

 

 ところで、今回の買い物の目的は誕生者へのプレゼントのはずでしたが、子どもたちはそんなことはそっちのけで自分が買いたい物ばかり物色していました。「お父さん、これ買っていいですか。」と言って持って来る物は、ことごとく自分が欲しい物ばかりです。「何のために来たんかなぁ。誕生日プレゼントを買いに来たんと違うん?」と尋ねると「そうだった。忘れてた!」と言います。「ほんとですか!」「正気ですか!」「誰の物を買いに来たんですか!」と言いたくなるような話です。最初の目的は誕生日プレゼントでも、お店で魅力的な品々を見ているうちに欲しくなり、誕生日プレゼントを買いに来たことを忘れてしまうという典型的な失敗を犯しています。子どもらしいと言えば子どもらしいのですが、やはり最初の目的を果たすことを忘れては行けませんので、「今日は誕生日プレゼントだけを買って、今度は自分の欲しい物を買いに来よう。」と話しました。子どもたちは素直に「分かりました。」と答えてくれたものの、誕生者へのプレゼントを早々に決めて、「今後来た時にはこれを買おう。」と物色の手を緩めることはありませんでした。何と貪欲なこと。「恐るべし!」と思いました。

ブログ00140 「解決策」 2020年5月31日

 今日もA君とB君はくだらないことで言い争いになって、B君が怒って2階の部屋に行ってしまったそうです。しかも、階段を乱暴に踏み鳴らしながら上がって行ったようで、D君が理由を聞きに行ったらA君が言いがかりをつけてきたのが原因だとのことでした。Cさんはその状況を居間に来た里母に話し、里母が私に伝えてくれました。相変わらず、同じようなことの繰り返しでうんざりしてしまいますが、学習できるまで教えなければなりませんので、A君B君CさんD君を呼んで状況を聞きました。事の経緯はこうです。B君が聖書を読んでいると横からA君がゲームのことで話しかけてきたので、B君が「静かにして。」と言ったのが争いの始まりで、それに対してA君が「うるせぇ、黙れ。」と絡んできて我慢ができなくなったので2階に逃げたそうです。

 

 何という低レベルの争いか。いつもいつもこんな感じで争いが勃発します。始まりは小さなことでも、放置していると争いがどんどんと大きくなって収拾がつかなくなってしまいます。争いが大きくなる前に対処するようにと彼らには話しているのですが、それができずにいつもおおごとになってしまいます。A君には、腹が立った時には「動かない」「しゃべらない」「深呼吸する」をし、それでもだめならお父さんを呼ぶように話しています。B君にはA君と同じ空間にいないように工夫し、A君の言いがかりには反応せず、それでもしつこくしてくるならお父さんを呼ぶようにと話しています。CさんD君には争いが勃発しそうになった止める努力をし、それでもだめならお父さんを呼ぶように伝えています。しかし、誰もその約束を守りません。A君は、アニメのワンピースに登場してくる薬で超巨大化したチョッパーのように我を忘れて暴れている状態ですから、彼らに太刀打ちできるはずもありません。彼らには、「そんな時には、威力の小さなミサイルを撃ち込んでもだめやで。お父さんという最終兵器を使わんかな。」と話しました。いつでも彼らが私を呼ぶのが遅すぎるのです。

 

 発達障がいを抱えている彼らにとって、自らの力で問題を解決することはたやすいことではありません。まったく解決の努力をしなくて良いと言うのではありませんが、解決できないのにいたずらに時間を費やしているうちに問題が大きくなって収拾がつかなくなってしまうことのないようにと願っているのです。彼らにとって大切なのは、自らで解決できないのなら解決できる人に頼むと言う行動です。家庭でも学校でもデイサービスでもこれから自立していく社会でも、これができなければそこで生き続けていくことができません。私は、彼らの将来を考える時に、解決できる人に躊躇なく頼める勇気を彼らに身に着けて欲しいと願っています。それが彼ら自身を守ることにつながると考えているからです。人に助けを求めることは勇気のいることです。でもその勇気が彼らを救うのです。彼らには、くだらないプライドを捨てて、信頼できる多くの人々に支えられながら幸せな人生を生きて欲しいと心より願っています。