ブログ00141 「食欲」 2020年6月1日

 D君は少食ですごく痩せています。中学生になるのにまだ小学生のようで、たまに「可愛い!」とか言われています。その言葉にまんざらでもなさそうで喜んでいるように感じてしまい心配になります。私としては、成長期を迎えている男児が、モリモリ食べて大きく成長してくれることを期待していますが、食事のお替わりはしないわ、弁当を買ってきても一番小さな物を選ぶわ、外食でも爺さんが食べるような低カロリーのメニューを注文するわで、少なからず心配しています。中学生になり小学生の時よりも体力作りもハードになって行きますから、本当について行けれるのだろうかと案じられます。そんな里親の気も知らず、彼は相変わらずの少食生活を続けています。

 

 本当に親というものは、たくさん食べたら食べたで心配だし、食べなければ食べないで心配です。どちらの極端も心配の種になります。本当は本人の勝手であり、本人次第の問題ですから余計なお世話なのです。でも、そうしてしまうのが親というものでありますから、血のつながりのない里親に過ぎない私たちも、その点は親らしくなっているのかも知れません。食べる量が少ない分、栄養価の高い、高カロリーの食事をとは思うのですが、受け付けてくれませんのでやむ負えません。D君がが覚醒する時を待ちわびたいと思います。その時には思う存分食べさせてあげたいと思います。ただし、太りすることがないようにだけは注意してですが…。

 

 ちなみに我が家では、食事は神様に感謝をささげてからみんなで一緒にいただきます。家にいる子どもは全員病気でない限り(病気の時には感染を予防するために部屋や別館の静養室で食べさせます。)同じ時間に食卓について食べます。家族は一緒に食事をするものだという当たり前の習慣を身に着けさせるためです。その際には、テレビも消してお互いの顔を見ながら一日の出来事などについて話しながら楽しくいただきます。俗に言う「家族団らん」を地で行っています。食べるということは生きることです。食べることは生きることに直結している大事なことですので、家庭においても大事にされなければならないと思います。食卓の乱れが家庭の乱れにつながると私は思っていますが、時代遅れの考えでしょうか。

 

 

 

 

ブログ00142 「我慢」 2020年6月2日

 今日、A君はデイサービスでいい子を頑張ってきたようです。いつもは注意ばかりを受けているのですが、たまにはこういうこともあります。今日は、そんな奇跡の日でした。放課後等デイサービスには、様々な障がいを持っている児童が集まっていますので、様々な対立・争い・揉め事が頻発いたします。それはある意味仕方のないことであり、問題が起こるのは必然といえる環境です。子どもたちがデイサービスに行っている間は私たちにとっては平和な時間ですが、そこで指導に当たっている先生方にとっては、本当に苦労の絶えない時間であり、仕事とはいえ心よりご同情申し上げます。その点に関しては、いつも感謝しております。

 

 そんな中、小学校6年生の男の子がA君に何度も嫌がらせをしてきたそうですが(注意欠損多動症の児童らしい)、なんとA君はやり返さずにじっと耐えたそうです。「奇跡だ!」と正直思いました。今までだってそんなことはほとんどなく、大きな争いになってデイサービスの先生から報告を受けることの方が常でした。にわかには信じられない私は、同じデイサービスので過ごしたCさんにも話を聞きましたが、A君は偉い子だったそうです。「本当に奇跡だ!」と思いました。それを聞いて思いっきりA君を褒めてあげました。本人も照れてはいましたがまんざらでもないようで、嬉しそうに喜んでいました。

 

 一体何が起こったのか。今まであれほど我慢できずにすぐに切れては争いに発展していたのにどうしたんだろう。それとなく話を聞いてみると、どうやらホームに帰宅してからPS3ソフトの「三国無双」で「黄忠」という武将を育てたかったらしく、デイサービスで悪いことをしたらできなくなるから我慢したとのことでした。「結局それかい。」という理由でした。元々、高尚な理由があるとは思っていませんでしたが、ゲームの力は本当に偉大です。どんなに立派な教えや熱のこもった指導や愛情豊かな勧めも、「絶対にゲームには勝てない。」と思いました。少なからずガッカリはしましたが、子どもらしいと言えば子どもらしい発想ですし、どんな理由であったにしろ、何よりも争いを仕掛けてきた児童をうまくかわして争わなかったことは素晴らしいと思います。その点は、やっぱいり偉いと私は正直に思いました。今晩は、奮発してゲームを少し長めにさせてあげようと考えています。この成功体験が今後も繰り返されることを願って…。

ブログ00143 「流行」 2020年6月3日

 子どもは熱しやすく冷めやすい存在です。先日まで将棋に夢中になっていたにもかかわらず、今では「三国無双」というPS3のゲームソフトに心を奪われています。いつでもそのゲームの武将の話をしており、食事の際にも唾を飛ばして熱心に話すので里母に叱られています。今日は、デイサービスで「三国無双」のゲームのユーチューブを見て来たらしく、ああだったこうだったと熱弁を振るっていました。元々は、小学生の児童と幼いゲームばかりをしていたD君に少し中学生ぽいゲーム(私の勝手な独断ですが)をさせたくて、私が一緒にプレイしたことが始まりなのですが、他の小学生までも割り込んできてしまいました。元の木阿弥でした。

 

 ところで、D君は本当に人のいい子でして、素直に相手の希望をかなえてあげようと思える児童です。でも、そのことがたまに仇となることがあります。今日の夕食の後、D君は私に「反省会の後で一緒に三国無双をやりましょう。」と言って誘って来たので「構わないよ。」と答えました。するとすぐさまA君に三国無双のゲームを一緒にしようと誘われて「いいよ。」と答え、その後Cさんにも一緒にしようと誘われて「いいよ。」と返事をしていました。確か夕食前にはB君にも誘われて「いいよ。」と言っていたのも思い出しました。我が家では、ゲームは1時間以内というルールがありますから、たった1時間でとても4人を相手にすることはできません。ゲームをやり始めたばかりのA君B君Cさんそれぞれに1ステージをこなしてレポートするのに最低30分はかかります。3人合わせただけでも1時間半ですし、私としようと言っていたステージは難しいところですので彼に合わせて進めると1時間程かかります。合計すると2時間半です。とても1時間でこなせる話ではありません。でもD君はお構いなしに、誘われるとすべての人に応じるという人の良さです。彼は、単純に人の希望を叶えて上げたいだけなのです。しかし、それが彼を悩ませるこになることに気づかないのです。

 

 確かに、D君には時間の計算ができないという問題もありますが、その人の良さは結局約束を破ると言う結果をもたらすことになり、無責任というレッテルを貼られて自分の評価を下げることにつながります。ですから、D君には「相手が頼んできても簡単に引き受けないで、できるかどうかを考えてから約束しよう。」と常日頃話しているのですが、人の良さが仇となっていつも約束して非難されるということを繰り返すことになってしまい可哀想に思います。D君は小さい時からそうです。お菓子をあげても自分の皿から「どうぞ。どうぞ。」と言って私に分けてくれるのですが、分けると自分のお菓子が少なくなることは計算できず、自分の皿のお菓子が少ないのを見て泣くという児童でした。中学生になった今も彼は変わらずに優しい子どもです。それは何にも代えがたい素晴らしい個性なのですが、もうそろそろ相手の期待に応えられない過度の優しさはかえって人を傷つける行為になることも理解できるようになって欲しいと思っています。「どう指導すれば彼の優しさを損なわずに人との関係をうまく築くことができるようになるのか。」というのが、私たち里親の思案のしどころだと思っています。良い知恵が与えられればよいのですが…。

 

 

 

ブログ00144 「里親会長」 2020年6月4日

 人生においては、どうしても避けて通れない道というものがあります。たとえそれを自ら望んではいないにしても、状況や環境によってその道を通らされることもあります。本日、今年度初めての里親会理事会が開かれ、恐れ多いことに私が札幌市里親会長に就任することになりました。昨年まではまったく予想だにしなかった事態でしたが、今年に入り様々な里親会に関して流れてくる情報に心を痛め、何か自分にできることがあれば一助になりたいとの思いから理事就任を決断しました。H26年の4月までは理事を引き受けていたのですが、H25年、26年、27年、29年と立て続けにファミリーホーム設立に奔走していましたので、里親会を長らくご無沙汰していました。そのため6年ぶりの復帰となりましたが、復帰早々に会長に就任することに戸惑いは感じました。しかし、長年里親会にお世話になった立場上、少しでも恩返しをしようとの思いで引き受けました。会長職は、私にとっては大任であり、とてもその責務を果たせる器ではないと思っておりますが、理事会には優秀な里親さんもたくさんいますので、皆さんのお力をお借りしながら少しでも里親さんや里子さんにとって頼りになる里親会にしていけれるように尽力してまいりたいと考えております。

 

 度々お話ししておりますが、国は里親・ファミリーホームを社会的養護の主たる担い手としたいと考えております。それは児童の健全な育ちにおいて家庭養護が最も適している(児童にとって最善である)との考えからです。そのことは誰が考えても疑いのない明確な真理ですが、それを実現すると言うのは至難の業です。何度も言っていますが、子どもにとって理想的な環境は、養育者にとっては苦労の多い環境になるからです。その苦労をあえて引き受ける里親の数がなかなか増えて行かないのです。その原因の一つが、里親の支援体制が未成熟で整っていない点にあります。悩みを抱えた時に相談できる人、助けを必要としている時に速やかに助けてくれる人、疲れた時や大事な用事の時に里子を代わりに面倒見てくれる人、障がいを抱えた児童の養育を支援してくれる人、届け出や申請などのやり方を教えてくれる人、学校や地域社会で理解を得るための知恵を教えてくれる人等、里親を支援する体制が十分に整っていてこそ、里親をやってみようという気持ちになるものであって、それを整備して安心を提供するのが里親会の役割です。なぜなら、里親会は里親にとって最も身近な支援組織だからです。

 

 今年度は、新型コロナウイルスの影響で三密を避ける観点から様々な集会を催すことができません。ですが、そういった時だからこそ里親会組織をもう一度見直し、より里親にとって有益で頼りになる里親会へと成長する改革の機会にすることができます。里親会は里親にとって何なのか、どんな存在であることが望ましいのか、具体的にどのような支援を提供できるのか、里親会組織や事務局の在り方がこのままで良いのか等、しっかり検証して改善していけたらと願っています。長らく里親会に所属してきた者として避けられない道ならば、嘆いてばかりいないで苦労しても通って良かったと思える道にしたいものだと思っています。

ブログ00145 「気付き」 2020年6月5日

 夕食後、食器の片づけをしている私のことろにCさんがやってきて、「小さな子どもたちの洗濯をしましょうか。」と言ってくれました。今日は里母が法人の用事でホームを留守にしているので、私が色々と子どもたちの面倒を見ているのを可哀想に思ったのか、自分にできることを考えて提案してくれたのだと思います。洗濯は食器の片付けが終わったら私がしようと考えていた家事でしたので、Cさんの申し出をすごく嬉しく思いました。まぁ、全自動洗濯機ですから洗濯ものと洗剤を入れてスイッチを押すだけですけどね。「じゃあ、お言葉に甘えてよろしく頼むよ。」というとニコッと笑って洗濯機のある脱衣室に行きました。「あのCさんが、中学生にもなるとそんなことも言ってくれるようになるんだぁ。」と考えにふけっていますと、Cさんがやってきて「お父さん、男子のパンツは無理なんですけど。」と言いました。私のお手伝いをしようと引き受けたものの、男子のパンツを前にどうしたものかと彼女も考えたのでしょう。「やっぱ、そこまでは無理かぁ。当然だよな。」と思いながら、D君を呼んで「パンツだけどうにかして。」と頼み、彼が洗濯機の中に入れてくれたようです。

 

 私の知らないうちに洗濯が終わっていたようで、それに気付いたD君が洗濯物を干してくれたそうです。「なんて気のきいた子どもたちなんだ。」と感動する反面、「どうせ、ゲームの時間を増やしてもらおうとの魂胆だろう。」との思いも浮かび、正直複雑な気持ちではありました。でも、助かりましたし嬉しいことに変わりはありませんから、ゲームの時間を増分してあげました。歓喜の声を上げたことはお話しするまでもありませんね。まんまと策略にひっかかったように思わせた訳ですが、たまにはそれも良いでしょう。次回はこううまくは行かないから…。上手くいったりいかなかたりするのもまた人生です。思い通りに行かず目論見が外れることも良い経験になりますからね。

 

 もう一つ嬉しいことがありましたので、今回のゲーム増分サービスは機嫌が良かったからかも知れません。デイサービスからE君を送って来てくれた先生が、「今日、E君は小さな子どもたちの面倒を自分たちの代わりにたくさん看てくれました。手間のかかる児童がたくさんいますので、E君のように気付いて助けてくれる児童がいると本当に助かります。とても嬉しい気分になりました。」と過分なお褒めの言葉をいただきました。どれほどお役に立てたかは分かりませんが、先生が頼みもしないのに必要に気付いて助けることができたその行為にE君の成長を感じました。「気付き」というのは、優しい人間になれるための第一歩です。気づかない人は誰も助けられません。気付いた人だけが優しい助け人になれるのです。E君が、その人としての成長の表れである「気付き」に目覚めていることを知らされたことも嬉しいことでした。今日は、子どもたちの「気付き」に感動できたとっても良い一日でした。感謝ではありますが、「明日も今日のようであればいいのに…。まぁ、無理かな。」と思ってしまう残念な自分もここにいます。

ブログ00146 「時間管理」 2020年6月6日

 札幌市里親会の会長を引き受けてから、毎日忙しい日々が続いています。想像以上に対処しなければならない課題、目を通さなければならない文書、就任の挨拶や新理事との信頼関係の構築、里親会の将来構想案作り等、仕事は山積しています。しかし、与えられている時間が限られていますし、私の能力にも限界があります。更に、私にはかつて燃え尽き症候群という精神疾患を患った過去もありますから、仕事との向き合い方にはくれぐれも注意をしなければなりません。里母からも、「引き際をわきまえて働いてくださいね。」と念を押されています。精神疾患に苦しんでいた時の私の姿を近くで看ていましたので心配してくれているのだと思います。もちろん、迷惑をかけることのないように去り際を間違えないように、まずは任期の2年を目標に注意深く仕事を選びながら、また自分の心の状態を確認しながら、更に理事の皆さんや里親の皆さんに頼って仕事を任せながら、何とか会長の務めを果たしていきたいと思っています。

 

 私が里親会会長になったからといって、ホームの子どもたちには何ら関係のないことであり、彼らはいつものように里父としての私の役割を果たすことを求めてまいります。それは当然のことであり、私はどんなに忙しくなったとしても子どもたちのことを犠牲にする気は毛頭ありません。私が彼らの里父であることは何よりも優先されなければならない事柄ですから、その責任を果たした上で里親会の仕事をしようと思っています。その順番が崩れかけた時が、私が里親会長を辞する時だと考えています。「二足の草鞋を履く」ことは、私にとっては大きな重荷だと思っています。今日の午後一服している時に何げなくつけたテレビで、「JIN 仁」というドラマが放送されており、そこで女性(綾瀬はるか)が「神様は耐えられる苦しみしか与えられない。」というセリフを語っていました。聖書にも「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Iコリント10:13)と記されています。その言葉を信じて、取り組んでいこうと考えています。空き時間を利用してこのブログを書いていますが、子どもたちからゲームのお誘いを受けましたので、本日はこれにて失礼します。

ブログ00147 「英雄」 2020年6月7日

 我が家でPS3ソフトの「三国無双5」が流行っていることはお話ししましたが、今日も子どもたちはたくさんお手伝いをしてくれてゲーム時間の増分を獲得し、いつもより多めのゲーム時間を堪能しています。中学生のD君は毎日のようにやっていますので(簡単なステージばかりですが)、他の小学生の児童にああすればいいとかこうすればいいとか教えてあげています。それがD君にとっては嬉しいようで、生き生きとしています。誰でもそうですが教えて上げれるとか「すごい!」と褒められるとかというのは単純に喜びを感じるものです。普段社会の中で褒められる機会が少ない彼にとっては、至福の時間を過ごせているようで私も嬉しく思っています。

 

 ただ少しD君に対して不満に思いますのは、彼がより強いステージへの挑戦をためらっていることです。常に弱いステージばかりをしていて強いステージへとレベルをあげることに躊躇しています。どうやら負けるのが嫌なようで、ついつい安全パイを選びがちになってしまいます。何度もやっているステージなので進行ルートも分かっていますし、登場してくる武将もその強さも理解していますし、回復アイテムの場所も熟知しています。知り尽くしたステージの戦いですから安心して戦えますから好きなのでしょう。それは私も理解できますが、もう少し挑戦してもいいのではないかと思ってしまいます。あまりにも及び腰なので、「少し難しいステージにも挑戦してみようよ。困ったらお父さんがいつでも助けに行くから(対戦の途中でも参入できますので)、思い切ってやってごらん。」と強く勧めてやっとやってみる感じです。人生にとって安定は大切ですが(おそらく最も重要なことなのかも知れませんが)、挑戦もして欲しいと私は願っています。チャレンジのない人生なんてつまらないじゃないですか。私は、子どもたちには新たなことや難しいことにもチャレンジできる人間になって欲しいと願っていますので、ゲームごときの話の中にも挑戦の姿勢を持って欲しいと望んでしまうのだと思います。

 

 私が常に困った時にD君を支援できればいいのですが、中々毎日忙しいので最終兵器を登場させることにしました。それはE君です。彼はゲーマーとまでは言えないまでもゲームは得意です。我が家では、彼以上にゲームができる児童はいません。ですからE君に「昔のゲームでつまらないかも知れないけど三国無双5をやってくれないかい。そして強いステージに他の児童が挑戦できるように助けてくれないかなぁ。」と頼みましたら、「昔、無双おろちをやっていましたからいいですよ。」と言ってくれました。その「無双おろち」とやらが何なのか私には分かりませんでしたが、E君が参戦してくれることにより更に「三国無双5」熱が過熱し、他の児童が熱狂しています。みんなE君と一緒にやりたがってモテモテです。彼もまんざらでもない様子で子どもたちと2人プレイをしてくれています。ゲームに誘われて困っていた私でしたが、E君が参入してから誰も私に声をかけてくれなくなり少し寂しいとも感じますが、やはり子どもたちは子どもたちの世界で楽しむのが一番ですから、これは喜ばしい寂しさなのだと思っています。でも、あんまり誘ってくれなくなったら割り込んで入っていきますけどね。

ブログ00148 「ブロック」 2020年6月8日

 長い間、幼児用ブロックは使われなくておもちゃ箱にしまわれていましたが、何を思ったかA君がそれを取り出して遊び始めました。いつも誰かを誘って(ある時には嫌がる相手さえもしつこくつきまとって)無理やり遊びに付き合わすところが問題でした。中々ひとり遊びができない児童でしたらから、幼児用(大きなブロック)とはいえ夢中で遊んでいる姿を見て嬉しく思いました。こうやってひとりで遊べるようになるのが目標でしたし、想像力を使って色んなものを作ることは有益ですので良い傾向だとも思いました。それを見ていたB君がどうやら羨ましくなったようで、A君がいなくなった隙に幼児用ブロックで遊び始めました。それがまた2人の争いに火をつける結果となり、2人が罵り合い始め、それに気づいたD君が割って入ったものの仲裁がうまくいかなかったために苛立ってB君のブロック作品を分解しました。それでB君は部屋に行って泣き叫び、私が呼ばれるという事態に発展いたしました。たかが幼児用ブロックごときで何でこんなに大きな揉め事になるのか私には分かりませんが、子どもの彼らには怒り散らし泣き叫ぶほどの大きな問題だったのでしょう。

 

 A君には「ブロックは君だけの物ではなくてみんなの物だからB君が遊んでもいいでしょう。自分が遊び始めたブロック遊びを真似されたようで腹が立ったのかも知れないけど、A君が遊んでいない時に遊んでいたのだから、それぐらいは許してあげなさい。」と言い、B君には「ずっと見向きもしなかった幼児用ブロックを突然遊び始めたのは、A君が遊んでいるのを見て羨ましくなったからでしょう。でも、小学校上級生になったんだから幼児用ブロック遊びはA君に譲ってあげたらどうなの。もっと他にも遊びは一杯あるでしょう。人が遊んでいたおもちゃを隙を見て他人に遊ばれると言うのは嫌な気持ちになるのだから、特にA君の遊びは奪わないようにしようよ。」と話し、D君には「幾らB君が助言を聞かなかったにしても一生懸命作ったブロック作品を壊されたら辛いよ。壊さない方法での解決を考えたら良かったと思うよ。どうしても説得が難しいようだったら、最終兵器のお父さんを登場されたらいいんだからね。」と説明しました。話しながら、何で毎日同じ話ばかりをしなければならないのか虚しくなりましたが、これが教育というものなのだと自分に言い聞かせて気持ちを保ちました。

 

 以前、何かの本で読んだ話なために正確ではないかも知れませんが、大体このような話だったと思います。イギリスの信仰復興を指導したジョン・ウエスレーとチャールズ・ウエスレーの母親が、子どもたちの教育を忍耐強く行っている姿を見たある人が、「よく何度も何度も忍耐強く諦めないで同じ教育を繰り返してできますね。」というと、母親は「学べないと諦めた時にもし教えていたら学ぶことができたのに、それをしなかったらそれまでの苦労が全部無駄になるではありませんか。」と答えたそうです。私も指導することを諦めた時に、もし指導していたらこの子は学べかも知れないと考えるとやめることができません。ひっとしたら、今までも指導することを諦めたために学べなかったこともたくさんあったかも知れません。そう考えると簡単にやめることができなくなってしまいます。子どもの可能性を信じて教育し続けることこそが、真実の教育だと言えるのかも知れません。決して簡単な話ではありませんが…。

ブログ0149 「個人面談」 2020年6月9-10日

 札幌市里親会会長に就任したことで、今後の札幌市里親会の運営にあたり新理事との個人面談の機会を設けています。昨日、今日と新理事の皆様の家を一軒一軒訪問し、札幌市里親会に対するご意見をお聞きしました。会長、副会長、事務局長すべてが辞任し、まったく新しい体制での里親会運営となりますので、理事の皆様方の理解と協力なくしては何もなしえない状態です。まずはひざを突き合わせてじっくりと意見を交換し、お互いを知ると共に思いを同じにできる改革事業から手掛けていこうとの思いからでした。全体会議では知り得ないそれぞれの個人的な考えを聞き、私の考えをお話ししているうちにあっという間に2時間が経過し、慌てて話を終えて次の理事宅へ移動するという毎日を送っています。どんなに急いでも3人が限界であり、精力を使い果たして帰宅すると倒れ込むような状態です。今週いっぱいこのような状態が続きますが、せっかちで短期集中型ですので、もたもたしないで一気に終わらせようと思っています。

 

 個人面談をした理事からは、「今までに1度も里親会会長と個人的に里親会について話したことがなかった。」と聞き、今回の里親会執行部の総辞職の原因もこのコミュニケーション不足にあったのだと思いました。話してみないと相手のことは分かりません。幾ら全体会議で意見を交わして知った気になっていても、実際は何も理解していないことは多々あります。やはり、ひざを突き合わせて2人切りでじっくり話してみないと、相手の真意は見えて来ないものです。そういった意味で、新理事の思いを知るのに非常に役立っています。苦労しながら里子を養育している里親を、できる限り支援したいとの思いで理事になってくださった皆さんです。その思いは一つです。その共通の思いを常に確かめつつ、一致して議論する場所が里親会です。決して敵ではなくて味方です。共闘こそすれ戦闘するする相手ではありませんから、同じ方向を向いて里親の最善のために尽力できる会でありたいものだと願っています。

 

 明日も理事訪問は続きます。明日はどんな出会いが待っているのやら楽しみです。

ブログ00150 「情報」 2020年6月12-14日

 今週いっぱいは一日中新理事の皆様のご自宅を訪問し、今後の里親会活動についてお話しする時間を過ごしています。午前、午後、夕方と2時間づつ3人と話して帰宅するとぐったりです。倒れ込むようにソファーに身を投げ出すとしばらく起き上がることができないほどです。そのため、ブログを更新する気力もなくて何日もまとめて投稿するという始末です。情けない。「どれだけ熱を込めて話しているのか。」と思う程、生気を失い出涸らし状態になっています。それだけ、里親会は危機的な状況であり、緊急に対応しなければならない問題が山積しているということなのだろうと思います。先の長い組織改革に気が遠くなりそうな毎日です。

 

 色々な新理事の方々と交流する中で、直接話してみると人から聞いている人物像とはかなり違うものだと感じます。やはり、人によって見え方感じ方はバラバラであり、その人の思い込みや解釈や理解を鵜呑みにしてはならないと思いました。自分の目で見て、話して、聞いて、自分の捉えた人間像をその人の実態と受け止めるのが最善なんだと改めて感じました。他人のその人に対する評価は、主観的なその人だけのものであり当てにならないものです。ですから、人の噂話や批判や評価をもって簡単に人を判断することなく、足を使って出かけていき、直接個人的に見て、話して、聞いて判断する姿勢を大切にしなければならないと思います。そうすれば聞いていない人物像に出会えるものです。今は、それを楽しみにしつつ、新理事さんのお宅を訪問しています。

 

 個人的に会って見なければ分からないというのは、里子に関しても同様なことが言えます。児童相談所は、委託の打診をしてくる際に委託児童に関する情報を伝えてくれます。しかし、その情報を信じて児童を受け入れると、それとは全く違う児童だったりすることはよくあることです。里子と新しい生活を始めると、「聞いてないよ。」ということがたくさんあります。やはり、里子の情報はそのケースワーカーの個人的な見立てであり、里親の見立てとは随分と違うと感じます。恐らく、違うケースワーカーだったらまた違う見立てをするのだと思います。同じことを見ても、人それぞれに感じ方は違うのですから、その評価が分かれるのは至極当然なのかも知れません。しかも、児童も対峙する大人によって自分を変えますから、評価が分かれるのも致し方ないことかもしれません。でも、預かった以上後の祭りなのですが…。ですから、私は児童相談所からの情報にあまり重きを置いていません。肝心なのは、自分にはその里子がどう見えているのかいうことだと思います。その自分の見立てを信じ、その子と関わっていくのが里親の務めではないかと思います。他人がその子をどう評価しているかというようなことはどうでも良いことなのです。その人が面倒見ている訳でも世話をしている訳でもないのですから、養育者自らの見立てを信じてかかわるべきであると思います。そうでないと、自信をもってその子と向き合うことができないと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。