ブログ00151 「成長」 2020年6月14日

 ファミリーホームの中で児童間の揉め事が絶えないということは、ブログの中でも何度もお話ししてきました。人が集まればそれだけ問題も増える訳で、しかも気遣いとか配慮とか遠慮とかとは無縁な我が家の子どもたちにとっては、児童間の争いは日常茶飯事です。今日も私の知らないところで些細なことでの争いが勃発していたようで、中学生のE君が知らせに来てくれました。以前より、争いが起こることは避けられなくても争いが大きくなることを避けることはできるので、小さな揉め事の段階で子どもたちが協力して解決するか、解決できなかった場合には最終兵器のお父さんを呼びに来るようにと話しているからでしょう。

 

 前にもお話ししましたが、私は児童間で争いが起こった場合、自分の力で解決できない時には、解決してくれる人に仲介に入ってもらうのが一番良い手段なのであり、その選択と行動ができる児童になって欲しいと日頃より話しています。しかし、現実のところは争いが大きくなって収拾がつかない状態になっても呼びに来ず、怒鳴り声や暴れる物音で私が争いを察して観に行って状況が分かるということの繰り返しです。そのたびに、「何でここまで争いが大きくなる前に、もっと早くお父さんを呼ばなかったのか。」と聞いても「忘れていました。」との返答です。頭に血が上って争っているために、相手とその問題に心を奪われて冷静な判断と行動ができない状態になっているのです。当事者がそうなるのは分からないでもありませんが、周りの児童までが傍観していることには理解ができません。自分には関係ないと思って無関心に何もしないようでは、家族とは言えません。自分のことのように争いを受け止めて解決のために努力するのが家族であり、その姿勢を身に着けて実親さんの元に帰って行って欲しいと願っていますので、私は彼らに「決して傍観者にならないように。」と教えています。しかし、これがまったく身に付かないのが悩みの種です。

 

 以前から気になっていたのですが、私はいつも争いが起こっても我関せずで傍観しがちなE君には特にそうなって欲しいと願っていました。そのE君が、「B君とD君が喧嘩をしてB君が泣いているので理由を聞きましたが、うまく解決できないので来てもらえますか。」と言って私を呼びに来ました。これは初めてのことであり、私はすごく嬉しく思いました。今まで何度となく争いの現場にいながら傍観してきたE君が、解決のために争っている児童の話を聞き、自分には解決が難しいと判断して私を呼びに来たことに、私は彼の成長を感じました。こういった一瞬一瞬の出来事に里親は慰めと励ましを得るのだと実感いたしました。次も同じように対応してくれるかどうかは分かりませんが、兎に角、今回は願っているように対応してくれました。今はそれだけで満足することにいたしましょう。今日は夕食を外食する予定です(家族だけの個室で食事をしますので新型コロナウイルス感染の恐れはありませんからご心配なく)。E君には好きな物をお腹いっぱい食べてもらうことにいたしましょう。

ブログ00152 「体育帽」 2020年6月15日

 分散登校期間が終了し、月曜日から小学校も中学校も普通日程に戻っています。久しぶりに学校で全日過ごすようになり、子どもたちには少なからず疲れが見えてきています。子どもたちは順応性に富んでいますので、恐らく今の体制に慣れるのにはそんなに時間はかからないものと思います。兎に角、少しずつ日常が戻りつつあることに安堵を感じます。しかし、まだまだ新型コロナウイルスの脅威が去った訳ではありません。第2波、第3波が心配される中、注意を怠らないように気を引き締めておかなければならないとも思っております。願わくば、このまま普段の日常生活が戻りますように…。

 

 学校が本格的に再開されることによって、様々な問題も勃発しています。夕方にB君が里母に叱られていました。何を注意されているのやらと思って聞いていますと、学校で使う体育帽が見つからないので昨日から探していました。B君には、自分の部屋にしまっていないか、ランドセルの中に入っていないか探すように言って、里母は家中を探し回りました。里母が幾ら探しても見つからなかったので担任の先生に連絡し、新しく体育帽を購入することにしました。担任の先生も責任を感じて、「体育帽を無くさせてしまいすいませんでした。」と手紙までいただきました。無くしたのはこちらのミスであって先生ではありませんから、非常に恐縮してしまいました。その体育帽が、夕方B君のランドセルの中から見つかりました。里母が、あれだけ何度も「ランドセルの中を確認しなさい。」と注意したのに見つけられず、里母もまた心当たりの場所をくまなく探し、担任の先生もクラス内を捜索すという大騒ぎになってしまいました。しかも、体育帽はすでに注文してしまいました。それで、里母から叱られていたという次第です。

 

 B君は、何度もランドセルの中身を取り出して確認しています。体育帽を手に取ってランドセルから出しては入れてを繰り返しています。それなのに、体育帽がランドセルの中にあることに気づかなかったのです。B君だけではなく他の児童でもありがちなのですが、彼らはいつも他のことを考えながら行動してしまうところがあります。恐らく、彼は何か他のことを考えながら体育帽を探していいたのでしょう。これは私の想像ですが、今夢中になっているゲームのことでも考えながら探し物をしていたのではないかと思います。探す行為は行っていても、「心そこにあらず」の状態で幾ら探していても見つかるはずもありません。B君は、いつも何かを考えながら生活しています。そのために失敗することも多い児童です。食卓のコップや茶わんをひっくり返したり、食べ物をこぼしたり、茶わんや皿の食べ残しが多かったり、物を落としたり、無くしたり、壊したり、ぶつかったり、転倒したり、電気を消し忘れたり、ドアを閉め忘れたりしています。常に色んな事に関心があって、何も手に付かないような状態です。日頃から「落ち着いて目の前にある用事に集中して行動しよう。1つ終わってから次のことを考えるようにしよう。キョロキョロしながら行動しないで目の前のことにだけを見るようにしよう。」と勧めていますが、彼にとっては非常に難しいことのようです。でも、この問題を克服し行かなければ、彼が就職して社会人になった時に失敗することの多い生活になって信用を失ってしまうことになりますので、今より少しずつでも「まずは目の前にある事に集中」できるように引き続き励ましながら指導していきたいと思います。

ブログ00153 「ツイタもん」 2020年6月16日

 今日から小学生の児童たちは、事故なくちゃんと登校できたことを知らせてくれる「ツイタもん」のICタグをランドセルにつけて登校することになりました。これは、子どもたちを犯罪や事故から守るための試みであり、子どもたちにとって危険な世の中を安全に生きていくための有益な一つのツールといえます。本当は、こんなものが必要のない社会であって欲しいのですが、残念ながら子どもたちを守るための様々な対策を講じなければならないのが実情です。

 

 そこで、今朝A君とB君のランドセルにICタグを取り付けたのですが、それが気になるようでいじくってみたり、取り外してみたり、ランドセルを乱暴に置いて床にICタグをぶつけたりしているので、学校に到着するまでに壊れるか紛失するのではないかと心配になるほどです。1つ4000円もする高価な物ですから壊さないで欲しいと願っていますが、私がどんなに「君たちが学校にちゃんとつけたかどうか確認するたもの物だから大事にしてね。落としたり壊したりしないように勝手に取り外さないようにしてよ。壊れやすい物だから乱暴に扱ったらだめだからね。」と話している最中にもうICタグを外している次第です。ドリフターズじゃないけど「だめだこりゃ。」って感じです。

 

 説明もそこそこに時間になったので心配ながらも学校に送り出しましたが、里母の携帯電話に2人が無事に「学校に着きました。」との知らせが送られて来た時にはホッとしました。「何とか、行きは紛失しなかったなぁ。」と胸をなでおろしました。午後には「学校を出ました。」と連絡があり、「学校にいる間は壊れなかったんだなぁ。」と思いました。何ともICタグに振り回される一日となりました。早くこの生活に慣れねばと思いました。発達障がい児である2人ですので、「飛び出して事故に遭っているのではないか。誘拐されてはいないか。」と毎日心配していましたので、「ツイタもん」のお陰でその心配からは解放されました。文明の利器はやはりありがたいと素直に感じました。

ブログ00154 「真実告知」 2020年6月17日

 昨日、家庭引き取りに向けて児童相談所で実親さんとの面談を行った児童がいます。実の親子がひとつ屋根の下で一緒に生活するというのが自然な家族の在り方であり、面談は本来あるべき家族の姿へと復帰していくための重要な準備です。その面談で実親さんは、今まで秘密にしていたことをそ包み隠さずその児童に話し、すべての事実を明らかにした上で関係の構築をしようと努力したそうです。私はその姿勢を本当に素晴らしいと思いました。秘密は人間関係における信頼を失さわせる危険な要因であり、秘密を抱えたままでの関係回復はありえません。それは、秘密やうその上に健全な人間関係は築けないからです。私はすべての事実を明確にした上で、親子がそれをどう受け止めて良いのかを整理してこそ、親子関係の回復作業を始めることができると思うのです。

 

 たとえ秘密やうそを抱えたままで親子関係を回復しても、その秘密やうそがバレた時には回復できないほどの信頼感の喪失を生むことになります。その時子どもは「何で本当のことを話してくれなかったのか。自分をずっとだましていたのか。」と親を責め、信頼を失い、人生に対する喪失感を抱くようになります。子どもが受け止められないとか、傷つくとか大人目線での勝手な判断で事実を隠したり、事実を捻じ曲げて伝えることは、ひとりの人間としての存在を尊重しておらず、知る権利を有する子どもの人権を無視する行為だと私は思います。大人の役割は、事実を巧妙に隠すことではなく、正直に事実をそのまま伝え、児童がそれを受け止めれるように支援することの方だと思います。事実を受け止めれてこそ、事実に立ち向かって自らの人生を築く力も湧いてくると考えます。事実を聞かされてその時はショックであっても、後々のことを考えると必ず「知って良かった。」と思える日が来ると思います。

 

 私は、その点でこの実親さんは正しい選択をしたと思います。真実を告知された児童は、あまりにも多くの情報が伝えられたので少し戸惑ったようですが、「自分なりにちゃんと受け止めることができた。」と話してくれました。もし、受け止められなかったら私なりに手助けしようと思っていたのですが、どうやらその必要がなかったようです。大人が考えている以上に子どもには許容力があり、丁寧に説明すれば理解して受け止められる力は備わっていると思います。もしそれが難しいようなら、近くにいる大人が手助けしてあげれば良いだけのことです。秘密やうそは、将来の人間関係に大きな爆弾を抱えることになりますので注意した方が良いと私は考えます。これに関しては、色々な考え方がありますので、私が絶対に正しいと言っている訳ではありませんが、30年近く里親を続けてきた経験上から感じていることです。私は、親子で真実に向き合って、ゆるがいない信頼を築いた家族になって欲しいと心より願っています。真実の上にしか信頼は築けないのですから…。

ブログ00155 「連帯責任」 2020年6月18日

 里母が、夕食に出された野菜がラップにくるまれてゴミ箱に捨ててあるのに気が付きました。児童ひとりひとりに野菜を捨てたのかを確認しましたが、何度聞いてもみんな自分ではないと言い張りました。野菜が勝手にラップにくるまってゴミ箱に入る訳もなく、必ず誰かが行ったことでしたが、自ら名乗り出る者もありませんでした。そこで、犯人捜しをするつもりはありませんでしたが、みんなを居間に集めて今回のことについて話をすることにいたしました。それは、しらを切り続けたら逃れられると考えるようになってはいけませんし、ひとりの人の問題は家族全体の問題であり、自分には関係ないと無関心になるようなことがあってもならないと思うからです。

 

 私は、家族というものは有機的なつながりのある集合体だと思っています。家族の問題は自分の問題であり、自分の問題は家族の問題なのであり、切っても切れないつながりがある関係です。自分がしでかした問題は必ず家族全体で負うことになるのであり、自分のだけの問題では済まされません。平気で「自分の勝手だ。」と言い放つ人間に家族の一員としての資格はありませんし、家族全体を不幸にする有害な存在となってしまいます。自分が不注意でしでかした失敗に家族は必ず巻き込まれ、大きな迷惑を被ることになることが分かっていなければ、家族関係を維持することはできず崩壊してしまいます。以前にもまして現代は、簡単に誹謗中傷が飛び交うネット時代になっています。家族の中の誰かが犯罪を犯して、他の家族が世間から非難されずに逃れることはできません。すぐにネット社会はその家族をやり玉に挙げて心無い非難を浴びせかけてきます。悲しいかな、今はそういう時代なのです。「俺の勝手だ、自由だ。」と豪語して犯罪に手を染めた人の家族がどれほど地獄を見て来たことか。決して自分だけの問題では済まされないのです。家族は生命共同体だからです。これから実親家庭に帰ろうとしているこの子たちにとって、このことはしっかりと理解しておかなければならない問題だと私は思っています。

 

 それ故に、たかが野菜をラップに包んで捨てたぐらい大したことないと思われる方もいるかもしれませんが、私は小さな問題は大きな問題へと発展すると考えており、小さな問題のうちに対処しなければならないと考えています。ですから集まった子どもたちには、「ひとりの失敗はみんなで責任を負うのが家族であり、今回の問題もみんなの問題として受け止めてみんなで責任を取ろう。分かりやすく話すと、家族の誰かが学校で友達に乱暴を働てケガをさせたとしよう。するとお父さんお母さんは学校に呼び出されて注意され、ケガをした友だちの家に謝りに行かなければなりませんし治療費を負担しなければなりません。他の兄弟は、学校に行ったら「彼らの兄弟が○○君にケガをさせたんだ。」と噂され場合によってはいじめに会ったりします。そして、心無い人がネットに家族の顔写真を載せて名前と住所を公表し、不特定多数の人々から家族全員が非難されることになるんだよ。今はそういう時代なんだよ。だから、決して自分だけの問題だとは思ってはいけません。今回の事件も家族の中の誰かがしでかした失敗だけど、みんなで罰を受けよう。そして、ひとりの問題はみんなの問題だということを今回のことで学ぼう。そこで、今日から3日間ゲームもテレビもパソコンもしないで考えよう。当然、お父さんもお母さんも同じ罰を受けます。」と話し、みんなの了承を得て解散しました。

 

 すると、まずい事態になったことを悟ったA君が、私の袖を引っ張って「僕がやりました。」と白状しました。それで、みんなをもう一度招集し、「A君が野菜を捨ててしまったそうです。そして迷惑をかけたみんなに謝りたいそうです。」と話し、A君は「ごめんなさい。」とみんなに謝りました。ということで、3日間の罰を1日に短縮して、ゲーム、テレビ、パソコンの禁止は今日だけにしました。正直に白状しましたが、やはり悪いことをしましたのでA君は罰を受けなければなりませんが、それも家族みんなで負って教訓にしようと考えたからです。「今度は、良いことを家族みんなで共有して喜びたいね。」と話し、この問題は解決です。今回のことを忘れないで、家族にとって有益な存在となって実親さんの家庭に帰って行って欲しいと心より願っています。

ブログ00156 「嘘」 2020年6月19日

 嘘はバレるのだと言うことを子どもたちは中々学んでくれません。確かに、すべての嘘がバレる訳ではなく何度か騙せることはありますから、その成功体験を忘れることができないのかも知れませんが、すべて嘘を騙し切るなどということは不完全な人間にはできません。必ずどこかつじつまが合わなくなったり、行動が怪しかったり、嘘を隠すための更に大きな嘘をつく等のほころびが出てくるものです。子どもたちには、「10回のうちに9回は騙せても1回はバレるものです。そして、騙せたと思った9回も嘘だと思われ信用を失ってしまいます。この世では、信用されるのに長い時間が必要だけど、1回の嘘で信用は失われるのです。だから、1回の嘘を小さなことと考えてはいけませんよ。」と常々教えていますが、まったく身に付きません。性懲りもなく嘘を繰り返し、自分の信用価値を自ら低下させているのです。

 

 今日、学校から帰宅したFさんは、里母に「部活があるので行ってきます。」と言いましたが、里母は部活予定表には今日は休みと記されているので疑問に思い「今日は休みじゃなかった。」と聞いたそうです。するとFさんは「突然先生が練習をすると言ってやることになりました。」と答えてそそくさと出かけて行ってしまいました。釈然としない里母は学校に電話をして確認したところ、「今日、部活は休みです。」という返答であり、嘘をついて遊びに行ったことがバレてしまいました。今までも、私たちが不審に思ったら学校に確認の電話をすることを知っているはずなのに、今回は騙せると思ったのか嘘をついて遊びに行ってしまいました。元々、実親さんとの親子関係が壊れた一つの要因が、無断外出と帰宅時間を守らないことでしたから、ホームで少しは矯正できているのかと思っていましたが、たまにこういうことをしでかしてしまいます。このままの状態で家庭引き取りをしても同じことの繰り返しになってしまいますので、今日もFさんとはじっくり話さなければならないと思いました。

 

 結局、Fさんは白を切り通し、「自分はあると思っていた。」と言い張りましたが、私は「学校に行って部活がないのに、いったい今まで何をしていたんだい。」と聞くと、「友達とテニスをしていました。」と答えました。「他にもテニスをしに来ていた部員がいたわけ?」と聞くと「いいえ。昔部員だった人です。」と答えたので、「じゃぁ、遊んでいたと言うことだよね。」というと彼女は黙ってしまいました。「もし君が勘違いして部活に行ったとしても、部活が休みだと分かったらすぐに帰ってくるべきではなかったのか。部員でもない友達とテニスの練習をしていたというのは遊んでいたことを誤魔化す言い訳でしかありません。お母さんは学校に電話をして部活が休みであることを確認していますから、部活に行ったのではないことは知っています。なのにかえって来ないと心配するでしょう。しかも、先生も同様に心配していました。君は3つの失敗をしました。1つは嘘をついて遊びに行ったこと。2つは門限を守らなかったこと。3つはみんなに心配をかけたことです。ですから、我が家のルールに従って1週間の部活禁止、学校以外の外出禁止、テレビ・パソコン・ゲームの禁止です。ただし、反省の態度が著しく顕著な場合は禁止期間を短縮します。」とペナルティを言い渡しました。少し厳しい処罰ですが、家庭引き取りも間近になっている児童ですから、今回のことでしっかりと学んで欲しいと思います。

 

ブログ00157 「将棋」 2020年6月20-21日

 我が家での将棋ブームは衰えを知らず、男児の間では相変わらずあちらこちらで熱戦が繰り広げられています。昨日も今日も彼らは将棋に没頭しています。頭を使ったゲームが流行することは非常に良いことだとは思っているのですが、熱が入り過ぎると怒りや憎しみや悔しさや優越感などの気持ちが言葉に表れてしまいます。そうなると、本来は楽しいはずの遊びが修羅場と化してしまい、とても楽しめるような雰囲気ではなくなってしまいます。確かに、遊びとはいえ負ければ悔しいし相手に対して怒りを感じます。それがまた強くなっていく原動力になるのも事実です。人は負けず嫌いでなければ何事も強くなることはできません。でも、それを密かな闘志として心に秘めて上達の力にするなら良いのですが、遠慮も配慮もなく露骨に表すのは誤っています。我が家のこの頃の将棋戦は、そんな感じになって来ていて良くないなぁと思っていました。

 

 そこで、子どもたちには繰り返し「相手を馬鹿にしたり批判するような表現をしてはいけません。相手には敬意を払って対戦するように。」と話しているのですが、その時は「分かりました。」と元気に返事をします。しかし、一旦戦いが始まるとすっかり忘れて罵り合いの始まりです。私がいれば注意されるのが分かっているのでおとなしく遊べるのですが、いつも付き合うことはできません。私がいなくなった途端に言葉のバトルが始まってしまうのです。困ったものです。言って分かるような子たちでもありませんので、どうしたものかと思案している最中です。

 

 私が思いますに、私たちが「どうしたものか」と考えあぐねているうちに長い時が立ち、いつの間にかそうならなくなっていくのでしょう。今までの経験ではそうでした。約30年も里親をやっていますと色んな子どもたちがいました。問題もそれぞれの子どもたちによって違い、その度に「どうしたものか」と思い悩んで来ました。しかし、解決策を見出すことなくその場しのぎの対応に追われているうちに、いつの間にか解決しているということの繰り返しでした。結局のところ、有効な解決策を見つけることもできずにその場その場で思いつく対処を一生懸命しているうちに、子どもたちが自らの成長によって解決していくということなのでしょう。そう思うと無力なのではないかと思いがちですが、いやいや有効な解決策を提供できなくても、子どもの最善を願って向き合う姿勢が大事で、それが彼らの成長を喚起することになると考えたいと思います。そして、諦めずに彼らの最善を願って無駄球を打ち続けたいと思います。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」 いつかは当たってくれるかもしれないし、当たらなくても彼らの成長までの時間は稼げます。撃ち続けることが必要だと自分に言い聞かせています。

ブログ00158 「法人化」 2020年6月22-24日

 長年任意団体として活動してきた札幌市里親会ですが、やっと重い腰を上げて今年法人化することにいたしました。本来であるならば、6年前に既に法人化することの承認を得ていたのにも関わらず、執行部が具体的な活動をしないまま今になってしまいました。何でもそうですが、決めただけでは物事は動かず、実際に決め事の実現のために動く人がいなければ何も始まりません。それがたとえどんなに良い決め事であっても、良いことだという理由で自然に整っていく訳ではないのです。実現させようとの強い意志を持つ人の努力で現実化していくのです。今回の里親会会長に就任したことを切っ掛けに、止まっていた法人化の作業を開始しました。月、火、水と3日間ほぼ法人化のための定款作成で掛かり切りになり、ブログを書く暇もないほどでした。もうこれ以上、いたずらに時間を費やすことはできませんから、すべてのことを後回しにして作業に打ち込んでいました。家庭養護の担い手である里親・ファミリーホーム並びに社会的養護の必要な児童への有益的・実効的・継続的支援を提供する団体となるために、法人化は決して避けて通れない問題なのです。

 

 この世の中は、良い事が何なのかは分かっているにもかかわらず、傍観者や批評家が多過ぎると私は思っています。。世の中を少しでも良くしようと一生懸命に努力している人がいても協力しようとしないで傍観したり、頑張っている人を心なく批判したりする人たちによって、多くの善人の志は砕かれ挫折してきました。無関心な傍観者や心無い批評家に屈しなかった僅かな人々によって社会は改善されてきました。私は、「決して傍観者にはなるまい。批評家にはなるまい。どのような形であれ土俵にあがろう。」と心に言い聞かせて生きてきました。時にはやり過ぎて燃え尽き症候群を発病したこともありました。しかも2回もです。でも、そのことを後悔したことはありません。何もしないで元気でいるよりも、どんなに小さくても何かをやって病気になる方が悔いることのない良い人生だと思えるからです。だから私は、できる限り観客席で見物したり、文句を言ったり、批判したりするよりも、自らの力不足を承知していますが、土俵に上がろうと思っています。それは、1度限りの人生を悔いのない人生にしたいからです。人生を終わる時に、あれもこれもできたのにやらなかったと後悔したくないではありませんか。

 

 いつの時代であってもそうですが、必ず保守的な人々がいて変わることを嫌います。抵抗されることは覚悟の上です。でも、必ず成し遂げます。それが、これから社会的養護の主たる担い手となる里親・ファミリーホームにとって必要なことだと確信しているからです。この実現のために、理解者と共に不退転の決意で取り組みたいと思っています。ある哲学者はいいました。「傍観者になるな。舞台に上がれ。」 私もかくありたいと思います。

ブログ00159 「想定外」 2020年6月26日

 今日の夕食は、お弁当でした。準備した弁当は、とんかつ弁当、鯖みそ弁当、ハンバーグ弁当、生姜焼き弁当の4種でした。その日の子どもたちの好みがどれなのか分からないので色々買ってみるのですが、必ずどれを食べるかでもめてしまいます。買い物袋から弁当を取り出す時点で、子どもたちは自分が食べようと思う弁当に当たりをつけており、他の児童のことをそっちのけでその弁当を食べることに決めています。その選択がいつもかぶってしまい、弁当争奪戦が始まってしまいます。「どの弁当でもいいじゃないか。奪い合う程の問題か。」と私は思いますが、彼らはすでに心に決めた弁当があり、その弁当以外になることは想定外の事件なのです。あるものは誇り、あるものは怒り、あるものは泣き、あるものはすねてしまいます。何とも嫌な光景を見る羽目になります。

 

 彼らにとって、この「想定外」という問題は非常に大きく、それが起こった時の対応策が何も準備されていません。それゆえに、食べようと決めた弁当に固執し、誰にも譲ろうとしない頑なな反応になるのです。大人になれば、「あれがだめならこちらにしよう。それもだめならあっちのでもいいや。」と想定外の状況にも対応できるように心備えしているものですが、単純な彼らにはそれができません。私は、滑り止めといいますか、予備策といいますか、プランBといいますか、その想定外対応能力といいますか、自分の計画がだめになった時の対応準備ができるようになることが人としての成長の一過程だと思います。でも、彼らにはそれを理解して成長していくことが凄く難しいようです。確かに大人であっても、想定外の事態に戸惑うこともたくさんありますが、いかに素早く立て直して進めるかが人生においては重要なことだと思います。なぜなら、人生は想定外の連続であり、思うように、計画通りに、願ったように生きれる人などひとりもいないからです。

 

 人は誰しも想定外の人生を生きています。それでも何とか折り合いをつけて自分の人生を生きています。それができなければ私たちは生きていくことができません。ですから、知恵を使って想定外の出来事にも対応できるようにしているのです。難しいことではありますが、私は子どもたちにも知恵を使った対応ができるように成長して欲しいと願っています。たとえば、「あれがだめならこれにしよう。」と予め食べようと思った弁当が食べられなかった時の選択肢を増やしておくとか、自分が食べたかった弁当を選んだ児童と半分こする約束を取り付けるとか、日頃から他の児童に優しくして置いて先に選ばせてもらうように供えておくとか。色々な方法があります。ただ、声を荒げて弁当を奪おうとする手段しか選択できない狭い思考の児童にならないようにと願って、私なりに選択肢を増やす提案をしています。「分け合ってたべたら。」とか「お父さんのと半分こしようか。」とか「今度は君から選ぶようにして今回は譲ってあげよう。」とか進めるのですが、ちっとも聞いてくれません。「口角泡を飛ばす。」光景を見ながらいつになったら話をきいてくれるのやらと、ついため息が出てしまいます。

ブログ00160 「環境の変化」 2020年6月26-27日

 札幌市里親会の会長に就任して以来、このところ凄く忙しくなり子どもたちと過ごす時間が大変短くなっています。その影響が子どもたちの中にも出てきており、以前に比べて争い事が増えて来ています。会長という身分不相応な役職に就いたばかりに、たくさんの仕事を引き受けることになり、家庭での時間がおろそかになってしまいました。ブログさえ書く暇がない状態になっています。そんな環境の変化に敏感に反応してのことでだと思います。私としては少しでも里親のお役に立てればと思っての会長就任でしたが、家庭に及ぶ影響の大きさを十分には理解できていなかったようです。現実は甘くはありませんでした。今までとは違う生活を始めると様々なところにひずみが生じ、生活が乱れていくのだと改めて感じました。

 

 人間の許容能力には限界があり、それを超えた仕事量をこなすことはできません。それをこなそうと悪あがきしていると自分が壊れてしまいます。当たり前のことですが、私には仕事量をコントロールすることが中々うまくできません。だから燃え尽き症候群という精神疾患を患ってしまうのですが…。哲学者ヘーゲルは「人間は歴史から学ばない。」と語ったそうですが、私も自分史から学べないでいます。そして、また同じ失敗を繰り返そうとしています。それを子どもたちが警告してくれているのかも知れません。子どもたちの生活は、自分の今の状態を映し出す鏡のような役割を担ってくれているようです。今の子どもたちの乱れは、里親の乱れの影響だと思い、対応策を考えなければと思いました。

 

 「このままでは危ない。」と悟り、里親会の仕事を有能な副会長や事務局長に分担してもらって家族との時間を確保しようと思いました。何でもやり過ぎる悪い癖がありますので、周りの人々の助言や助けが必要な存在です。私が里親会会長に就任した日に、家内から「苦しくなったらすぐに辞めてくださいね。」と念を押されましたが、6月4日に就任してもはや危うくなっている自らに情けなさを感じますが、優先順位だけは見失わないようにしなければと言い聞かせています。私の優先順位は、里親としてい里子の生活を守る事、そして次が里親会の業務です。これを逆転させることのないようにと思っています。そうならないためにも、有能な里親会理事会の皆様のお力をふんだんにお借りしたいと思いました。